Capernaum(カペナウム)

訪問日:22 Feb 2013

いよいよ、イエス・キリストのガリラヤ伝道の根拠地、カペナウムを訪問します。カペナウムは、紀元前2世紀頃のハスモン朝時代にできたガリラヤ湖畔の小さな町で、紀元一世紀頃の人口は約1500人、漁業に加えて、オリーブや果物、穀物が豊富な豊かなところでした。イエス・キリストは、故郷のナザレで迫害に合った後、カペナウムへ移り、ペテロの実家に寝泊りし、ガリラヤ各地で伝道しました。それで、別名「The Town of Jesus(イエスの町)」と呼ばれています。

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新約聖書には、カペナウムが何回も登場します。

(マタイ4:13 -22) イエス様は、「そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。・・・」 その後、漁師だったペテロとアンデレの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとヨハネに声をかけて弟子とされた。

(マタイ8:5-13)病気で死にかけていた百人隊長のしもべを癒された。

(マタイ8:14-15)ペテロの家に来られて、熱病で床に着いているペテロのしゅうとめを癒された。

(マタイ9:9) イエスは、収税所にすわっていたマタイにも声をかけて弟子とされた。

(マタイ17:24-27)「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。」と言われたとき、イエスはペテロに「湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとコインが一枚見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」と言って納めさせた。

(マルコ1:21-27)イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。そこで、汚れた霊につかれた人がイエスに向かって叫んだが、彼をしかって汚れた霊を追い出された。

(マルコ2:3-5) ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて来たが、群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人を癒された。

(ヨハネ4:46 -53)死にかかっている病気の息子がいる王室の役人が、イエスのところへ行き、息子をいやしてくださるように願った。・・・イエスは「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」と言ってその子をいやされた。・・・そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

まだまだ、いろいろなことが、カペナウムで行われたようです。

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カペナウムは、ローマ・ビザンチン時代の紀元5世紀頃に最盛期を迎えましたが、その後イスラム勢力の支配下になると破壊され、11世紀には見捨てられました。

発掘は、1838年にアメリカの探検隊が古代カペナウムの遺跡を発見、1866年にイギリス隊がシナゴーグ遺跡を発見、1894にカトリックのフランシスコ会がベドウィンから遺跡の主要部がある土地を購入することに成功、周囲を塀で囲って荒らされないようにし、ヤシの木やユーカリを植えて巡礼者のオアシスとしました。1905年から1926年にかけてドイツ隊とフランシスコ会によってシナゴーグと八角形の教会が発掘されました。 1968年になってイタリア隊により、紀元1世紀頃の町並みとペテロの家が発掘され、現在もいろいろなチームによって発掘は継続中です。

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これが、発掘されたカペナウムの全体図です。下のほうに見えるBというところがペテロの家の上に立てられた八角形の教会、上の方に見えるAという四角い部分がシナゴーグの遺跡です。その周囲は民家の遺跡です。

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発掘当時の写真です。左がペテロの家の上に建つ八角形の教会、右がシナゴーグの跡です。

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民家の跡から八角形の教会を望むところ、コンクリート作りの建物は、遺跡を保護するような形で最近建てられたものです。この建物に入ると真ん中に穴が開いていてガラスが貼ってあり、地下のペテロの家の跡を見られるようになっています。

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この建物の中央の下には、5世紀頃に建てられた八角形の教会跡があって、その下に、ペテロの家と思われる民家の構造体が見えます。これが、ペテロの家と言われる所以は、2世紀頃にカペナウムを訪れた巡礼者の日記に、「ここに小さな部屋があって祈り合っていた。」と書かれていたからとのこと。つまり、その頃のクリスチャンが家の教会としていたところなので、ペテロの家だったのであろうということだそうです。

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八角形の教会の左外側の様子。これも5世紀に建てられた教会の一部。

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同じく、右外側の様子。

この構造の説明図がありましたので載せておきます。まずは、全体図と5世紀頃の八角形の教会跡の平面図

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さらに、4世紀頃の家の教会の平面図と、1世紀頃のペテロの家の平面図です。

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これらの建物の様子を分かりやすく見せてくれるアニメーションを見つけました。クリックしてみてください。

ペテロの家のアニメーション

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一般の民家の跡です。家は平屋建てで、玄武岩の壁にしっくいを塗ったものでした。間取りがかなり狭いのは、当時の人間の体格がかなり小さいものだったためとのことです。屋根は、軽い木の梁に粘土を混ぜたもので作られており、外側に屋根に上る階段もついていて、屋根を壊して中に入るマルコ2:3-5の記述と合致する構造だったそうです。

次にシナゴーグの遺跡を見に行きます。

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一般の民家は、このあたりで取れる玄武岩でできているのに対し、シナゴーグだけは四角く切られた白い石でできています。このシナゴーグは、カペナウムの全盛期、5世紀頃にかなり贅沢に作られました。白い石は、ここから5km離れたマグダラで切り出されて運ばれたものです。

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床にも立派な白い石が敷かれています。

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しかし、よく見ると、白い石の下には、黒い玄武岩の土台が見えます。5世紀に建てられた白いシナゴーグは、それ以前にあったイエスの時代に使われたシナゴーグの上に建てられたものと考えられています。そうすると、新約聖書に何度も出てくるカペナウムの会堂というのは、まさに、ここであり、ヨハネ6:24-59で、「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」といわれたのは、まさに、ここになります。

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5世紀の会堂の中は、随分豪華で、立派な円柱が並んで、柱頭の飾りも凝っています。私達は、ここで明石牧師のメッセージを聞きました。

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柱頭や壁の飾りつけは、ギリシャ・ローマ文化の影響を受けているとのことです。

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壁飾りの石は、外の道端に展示してあります。ここには、花飾りに混ざって、6角形のダビデの星も見られます。

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こちらには、ぶどうやざくろなどの果物が彫られています。

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そのほか、たくさんの柱頭や飾りが保存されていました。

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シナゴーグの窓からは、フランシスコ会の区域を守る塀の向こうに、紅い屋根のギリシャ正教の教会が見えます。ギリシャ正教の敷地とフランシスコ会の敷地を合わせた500m x 250m くらいの範囲が古代カペナウムの町でした。

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これは、最近誰かが寄贈したペテロの像です。足元に魚、右手に天国の鍵、左手に羊飼いの杖を持っています。召命されたペテロを表わしています。

しかし、イエス様は、カペナウムとベッサイダとコラジンの各都市に対し、

(ルカ10:13-14)「 ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間に起こった力あるわざが、もしもツロとシドンでなされたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰の中にすわって、悔い改めていただろう。 しかし、さばきの日には、そのツロとシドンのほうが、まだおまえたちより罰が軽いのだ。カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。」と言って呪われました。

その後、この3都市とも、破壊され、人が住まなくなり廃墟となりました。