Yad La’shiryon at Latrun(ラトルンの戦車博物館)

訪問日: Sun, Feb 14, 2016

テルアビブとエルサレムを結ぶ高速一号線の中ほどにあるラトルン、ここは、アヤロンの谷を見下ろす戦略的な場所で、1948年の第一次中東戦争、いわゆる、イスラエルの独立戦争で激戦が行われた場所です。また、旧約聖書においては、アヤロンの谷は、ヨシュアがエモリ人を打ち破ったところです(ヨシュア記10:1-12)。

その小高い丘の上に、ヤド・ラ・シリヨンと呼ばれるイスラエル軍の戦車博物館(The Armored Corps Memorial Site and Museum)があります。下の写真は、その入り口です。

入口を入って階段を上ると、広場があり、中央の奥に大きな四角いビルが建っていました。大分古いもので戦火の中を生き残ったもののようです。調べてみると、この建物は、イギリス委任統治時代に起こったパレスチナ・アラブ反乱(1936-39)の後にイギリスが作ったもので、設計したテガート卿(Sir. Charles Tegart)の名前を取ってテガート要塞と名づけられました。第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)(1948)後は、イギリス軍が引き上げた後、1967年の6日戦争でイスラエル軍がヨルダン軍を打ち破るまでヨルダン軍が占拠し使用していました。この要塞は、テルアビブとエルサレムを結ぶ唯一の街道沿いにあるため、イスラエルは孤立したエルサレムにいる同胞に物資を送ることができなくなり、何度も攻撃をかけて奪回を試みましたが失敗。そこで、ビルマ道路と呼ばれる秘密のう回路を作って物資を運び込む作戦を実行し、やっと成功しました。この成功は、元アメリカ陸軍大佐ミッキー・マーカスの活躍によるものですが、彼は悲運な死を遂げました。この出来事は、カーク・ダグラス主演の「Cast a Giant Shadow(巨大なる戦場)」として映画化されています。

四角いビルを中央にして広場があり、その外縁にたくさんの戦車が並べられています。

第二次大戦頃からの旧式戦車ですが、多種多様で、アメリカや、ドイツ、イギリス、フランス、ロシア、および、イスラエル製のものなど、実に様々な国の様々な戦車が並べられています。全部で戦車110台と軍用車両多数、世界でも有数の戦車博物館で、どれも、自由に触ったり乗ったりすることができます。

これらの車両は、1948年の独立戦争の時に、劣勢だった戦況を立て直すべく世界各国から調達したものとか、敵軍から捕獲したものとか、コレクションを充実させるために同盟国から購入したものとか、イスラエル軍独自開発のものとか、実にいろいろあります。

これは、「M10 “Achires” Tank Destroyer」。

説明書を訳してみますと、「アメリカ製のM10 Destroyerは、イギリスに大量にリースされ、イギリスは17ポンドの対戦車砲をのせた。この新しい戦車には、”アキレス”というニックネームがつけられた。イスラエル国防軍の調達部門は、第二次世界大戦後に使われなくなった武器の中からこのような車両を大量に見つけ出した。これらの戦車は、機甲部隊の戦車破壊小隊を実現するために購入された、」

説明のない様々な軍用車も並べられています。

戦争の時には、緊急調達したり敵軍から奪い取ったものを、即座に運転したり修理したり、イスラエル人の技術力、適応力の高さには関心させられます。

実に様々な種類の戦車が展示されています。これは、”Sherman Multiple Rocket Launcher” 。

小さな展示場があり、その先には、高い塔の上に戦車が一台、載せられています。そして、右下には、小さな銅像が見えます。

小さな展示場は、1948年の第一次中東戦争(独立戦争)から、第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)まで、4つの中東戦争の写真と説明図が展示されていました。殆どヘブライ語で書かれているので読めません。

先ほどの写真の右下にあった小さな銅像のところに行ってみました。一人の兵士が負傷兵を背負っています。

前から見た写真です。この下に説明が書かれていました。

説明を訳してみますと、「ラトルンでの血みどろの戦いが終わると、”ギヴァティ旅団”の兵士、ルーベン・フーバーは、戦場から負傷したMachalの兵士を肩に背負って運び出してきた。(Machalとは、1948年の独立戦争の時に、イスラエル軍のためにボランティアとして世界中から集まった義勇兵のこと。ユダヤ人も非ユダヤ人もいた。) 日が暮れて、フルダに到着した時、ルーベンはその負傷兵が死んでいることに気が付いた。このMachalの兵士は誰だか分かっていない。この像は彼ら二人のために献げられた。」

そして、もう一つプレートがあり、「彼らは互いに助け合い、その兄弟に”強くあれ”と言う。イザヤ書 41章6節 」と書かれていました。有名な将軍とか英雄の像ではなくて、このような像が立てられているのは、やはり、聖書の国イスラエル、一人一人をアブラハムの子として大切にしているようです。

その先の高い塔の上に戦車が載せられていました。これは、第二次大戦の時にアメリカで作られたM4シャーマン戦車です。この塔は英国統治時代に建てられた水道塔で、耐荷重25トンまでの設計だったため、重さ34トンのM4戦車はそのままでは乗せられず、エンジンと変速ギアが取り外されました。

中央の四角いメイン・ビルディングに入りました。1948年以前の英国統治時代に建てられ、1967年の六日戦争以前はヨルダン軍が支配していたビルです。中は広い部屋になっていて、中東戦争の説明や写真や絵画が展示されています。

古代アッシリアの軍馬による戦車の実物大模型もありました。

他に、図書館とか講堂などもあり、研修施設になっているようで、若い男女のイスラエル兵が大勢集まっていました。イスラエルでは、男性は18歳から3年間、女性は2年間の兵役の義務があります。そのあと一年ほど世界を歩き回った後大学に入る人が結構いるとか。また、優秀な人は兵役期間中に最先端の技術を身に着け、大学で研究した後、起業して世界的に活躍するそうです。

学生たちの見学の場でもあるようです。皆楽しそうに飛び回っていました。

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Yad La-Shiryon at Latrun
ラトルンの戦車博物館
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