イスラエル・ヨルダン旅行2016でのパノラマ写真

2016年2月のイスラエル・ヨルダン旅行に参加し、いくつかのパノラマ写真を作成しましたのでご紹介します。これらの写真は普通のカメラで撮った連続写真をMicrosoftのICE(Image Composite Editor)を使って結合したものです。画像をクリックすると大きくなります。詳しい訪問記事は引き続き書いていきますが、とりあえずパノラマ写真だけを先にご紹介します。

・ ヨルダンのネボ山から見たイスラエル方面の展望

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荒野の40年の旅の最後にモーゼがネボ山の頂上から見た景色、乳と蜜の流れる約束の地です。

・ アルノン川(ヨルダン)

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モアブの北の国境を流れているワジで、浸食によりできた険しい谷が続いています。モーゼの一行は、モアブの通過を拒否されたため、この川の北側に沿って進んで行ったのではないかと言われています。

・ ダーナ自然保護区(ヨルダン)

標高1500mからマイナス50mのワディ・アラバまで15kmを一気に下る渓谷です。多くの珍しい動物、植物、渡り鳥が見られるそうです。

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・ エル・ハズネ(ヨルダン、ペトラ遺跡)

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BC1世紀~AD2世紀頃に造られた神殿の跡です。

・ 岩山に造られた多くの墓(ヨルダン、ペトラ遺跡)

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・ アッデイル(ヨルダン、ペトラ遺跡)

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ペトラ遺跡地区の一番奥の丘を登り切ったところにある大きな神殿

・ ソロモンの柱(イスラエル、ティムナ渓谷)

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BC1500年頃からエジプト人によって採掘されたと言われる銅山跡。ソロモンという名前がつけられましたが実際は関係ないとのこと。

・ マサダの要塞(イスラエル、マサダ)

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BC100年頃~AD一世紀にかけて死海のほとりにある標高400mの山頂の台地に造られた要塞。建築魔と言われたヘロデ大王が増築してサウナ設備もある豪華な冬の宮殿を造りました。

・ エン・ゲディからの死海の展望(イスラエル、エン・ゲディ)

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エン・ゲディの横にある丘から見た死海です。死海の向こう側はヨルダンです。

・ クムランの第一洞窟(イスラエル、クムラン)

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有名な死海写本(紀元前2~1世紀頃書かれた旧約聖書などの写本)が、1947年に奇跡的に発見された最初の場所が、右側にみえる大きい方の第一洞窟です。

・ オリーブ山から見たエルサレム旧市街の展望(イスラエル、エルサレム)

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右側に神殿の丘とそれを取り巻く城壁が見えます。その左はダビデの町。手前の多くの白い箱はユダヤ人のお墓。

・ ベテスダの池(イスラエル、エルサレム)

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ベテスダの池の発掘跡。イエス・キリストが38年間病気にかかっていた男を癒したところ。ローマ時代は癒しの場として北池と南池があり、その後教会が建てられました。

・ 神殿の丘の南壁にある大階段の上から南方を望む展望(イスラエル、エルサレム)

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手前の低い石壁は多くのミクベ(沐浴場)の跡、このあたりがオフェルと言われるところで、遠方に見える民家の多い丘は、アラブ人の町シルワンです。

・ カルメル山の上から見たイズレエル平原(イスラエル、カルメル山)

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カルメル山はバアルの預言者をやっつけたところ。左手の下方に小さなキション川が見えます。

・ テル・メギドの丘の上から見たイズレエル平原(イスラエル、メギド)

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エジプトからシリアに至る道と、イスラエル内陸部からフェニキアへ抜ける道の交差点に位置し、古代から戦略上重要な拠点でした。黙示録によればハルマゲドンと呼ばれる世界最終戦の戦場となるところ。現在は、肥沃な農地が広がっています。

・ テル・メギドのカナン人の祭壇や神殿の跡(イスラエル、メギド)

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テル・メギドはBC4000年の銅石器時代からBC4世紀のペルシャ支配時代までの20層からなる大きなテル(丘状遺跡)です。ソロモン王時代の門や馬屋、地下水道など、各時代ごとに多くの遺跡が発掘されていますが、このカナン人の祭壇はBC26世紀頃のものだそうです。

・ ナザレの突き落としの崖から見た展望(イスラエル、ナザレ)

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イエス様が突き落とされそうになったナザレ南方の山からは、イズレエル平原の中に立つタボル山(左側)やモレの丘(右側)を展望できます。

・ ミグダルの遺跡発掘場(イスラエル、ミグダル)

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ガリラヤ湖畔にあるミグダル(マグダラのマリアの出身地)の遺跡の発掘現場です。ペルーから来た若い学生たちが、楽しそうに発掘作業をしていました。

・ コラジンの遺跡(イスラエル、コラジン)

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ガリラヤ地方でも重要な町で、イエスもここで伝道されたが、人々はその教えを受け入れなかった。そのためか、イエスの預言通り、4世紀以降は誰も住まなくなったそうです。シナゴーグ等の遺跡は2-3世紀頃のもの。

・ カペナウムの遺跡(イスラエル、カペナウム)

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ガリラヤ湖畔の町で、イエス・キリストが住み、伝道の拠点としていたところ。ベッサイダ、コラジンとともに、イエスを受け入れなかったため、後に誰も住まなくなって廃墟となったとのことです。後方の建物は、ペテロの家の発掘されたところ。

・ ペテロの家(イスラエル、カペナウム)

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一世紀頃にイエスの12弟子のひとりになったペテロが住んでいたという漁師の家が発見されました。イエスはここでペテロの姑の熱病を癒しました。その後、 ビザンチン時代には、ペテロの四角い家の上に八角形の教会が建てられ、現在は、残った石壁を覆う建屋が建てられて、そのガラス張りの床から見下ろすことができる ようになっています。

・ カペナウムのシナゴーグ(イスラエル、カペナウム)

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3世紀頃のものと思われるシナゴーグの遺跡です。その土台はイエス時代の黒玄武岩でできたもので、以前にはイエス様が入って説教されたというシナゴーグが建っていたものと言われています。

・ ペテロ召命教会(イスラエル、タブハ)

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ガリラヤ湖畔にあるペテロ召命教会の浜辺。漁師であったペテロとアンデレに「私についてきなさい。人間を漁る漁師にしてあげよう。」と言われた場所とされ ています。また、復活後のイエスがガリラヤ湖で漁をしていたペテロと弟子たちにあって食事をしたのもここだとされています。

・ テル・ハツォル(イスラエル、ハツォル)

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ガリラヤ湖の北にある大きなテル(丘状遺跡)、世界遺産に登録されています。BC19世紀頃から大きな町があり、その神殿や住居跡が発掘されました。紀元前13世紀頃にはハツォル王国として繁栄していましたが、ヨシュアに破られ、ソロモン王の時代にはメギドと並んで要塞都市として繁栄しました。その後、 BC732年にアッシリアに滅ぼされました。

・ フーラ自然保護区(イスラエル、フーラ・バレー)

 

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1950年代にフーラ湖の干拓事業が始まったが、豊かな動植物、特に渡り鳥の宝庫である湿地帯が失われるという損失に気づき、フーラ湖の一部を回復して バード・ウオッチングを楽しめる自然保護区にしました。トラクターの荷台に乗って公園をめぐるツアーが人気です。フーラ湖、ヨルダン川、ガリラヤ湖、死 海、紅海といったところは大きな窪みになっていますが、これは、シリア・アフリカ大地溝帯の一部で、ここを経由して多くの渡り鳥が南北を行き来するそうです。

・ カツリン古代村(イスラエル・カツリン)

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ゴラン高原のふもとのカツリンという町にある古代の遺跡。4~6世紀頃のシナゴーグを中心とした集落が発掘され、古代の住居や調理道具、生活道具もきれいに展示されています。

・ エルサレム旧市街の城壁(イスラエル、エルサレム)

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ヤッフォ門を出たところにある広場から見たところ。中央にある横向きの門がヤッフォ門。その右にある四角い建物がダビデの塔です。

・ダビデの町の階段状構造物(イスラエル、エルサレム)

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ダビデの町の一番高いところにあるダビデの宮殿を支える擁壁だったのではないかと言われています。連続写真の一部が不足して、右下は黒くなってしまいました。

・アヒエルの家(イスラエル、エルサレム)

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ダビデの町の階段状構造物の下に造られた家の跡で、発掘された印章から、ユダ王国の官吏だったアヒエルのものとされています。水洗トイレの遺跡も見つかりました。BC586年にバビロン軍によって滅ぼされました。

・ ケデロンの谷とシルワンの町(イスラエル・エルサレム)

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奥に見えるオリーブ山と、左手前のダビデの町との間の谷がケデロンの谷です。谷の底には細い道があって歩けるようになっています。最後の晩餐のあと、イエス様がオリーブ山に向かった時にもこの道を通られたと思われます。

・ ダビデの塔の上から南西を望む(イスラエル、エルサレム)

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ヤッフォ門の隣にあるダビデの塔の屋上からは、エルサレムの町を展望することができます。手前の内庭にある公園は、ヘロデ大王の宮殿があったところで、その後、ビザンチン時代や十字軍時代の建物が建てらました。後方には、エルサレムの新市街が広がっています。

・ ダビデの塔の上から北東を望む(イスラエル、エルサレム)

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ダビデの塔から北を見ると、左のヤッフォ門を入ってすぐのところにある3階建てのインペリアル・ホテルが見え、その奥がクリスチャン地区で、その右側に 黒いドームの聖墳墓教会が見えます。さらに右に行くとルーテル贖い教会の四角い塔があり、さらに右奥に黄金のドームが光る岩のドームのある神殿の丘が見え ます。その奥の丘は、オリーブ山です。

今回の旅行では、多くのパノラマ写真を撮ってみました。連続写真を撮るのは難しいところがありますが、うまくいけば全体的な位置関係が分かり、臨場感溢れるものができます。ICEというソフトを使うと簡単に作成できますので、今後の旅行でも積極的に活用していきたいと思います。