Garden Tomb(園の墓)

訪問日: Thu, 28 Feb 2013

エルサレムの旧市街ダマスカス門の北にある「園の墓(Garden Tomb)」に来ました。ロゴス・ミニストリーのツアーの最後の訪問場所です。ここは、イギリスのゴードン将軍(1833-85)が、クリミア戦争の後に休息に訪れた時に、崖の一部が頭骸骨のように見えたので、ひょっとしてゴルゴダの丘(どくろの丘)、すなわち、イエス・キリストの十字架刑の場所ではないかと直感して発掘し、発見されたところです。

発掘の結果、深い貯水槽や、ぶどう酒を作る酒舟とともに、古いお墓が発見され、聖書に書かれたイエスの墓とよく似た特徴を持っているということで、「イエスの墓」とされ、聖墳墓教会のイエスの墓に対して、「プロテスタントのイエスの墓」とも呼ばれてきました。

下の写真のように、崖の窪みが頭骸骨の目のように見えます。

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発見当初の写真もありました。現在は大分岩が侵食されて当時とは変わっています。ガイドの恭仁子さんのお話では、19世紀の終わりにイスラエルに移住してきたイエメン系のユダヤ人は、ヨーロッパ系のユダヤ人と違って苦難の生活をしていたそうですが、自らも苦難を経験したあるアメリカ人家族が、全財産を投じて手を差し伸べ、それに共鳴したスウエーデンやヨーロッパの人々と共に、アメリカン・コロニーという共同体を作って奉仕活動をしたのですが、ゴードン将軍は、その活動を見るためにこの地に来ていたということです。現在でも、アメリカン・コロニーというホテルがあって、当時の様子がしのばれるということなので、機会があれば一度行ってみたいと思います。

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園内を進んでいくと貯水槽の跡がありました。

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巨大な貯水槽で、ここに大きな園があったことを示しているとのこと。

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イエス様の時代のぶどう酒を作る酒舟です。ここでぶどうを踏んでつぶし、その汁を壷に入れて日陰に置いておくとぶどう酒ができました。

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その奥に墓の入り口が見えました。

(ヨハネ19:41-42) ” イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。”

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墓の入口も中も狭いので、数人が入って出てくるまで待っていないといけません。幸い、それほど多くの人は並んでいませんでした。

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入口の手前を見ると、石の溝が作られています。これは、墓の入口をふさぐ大きな丸い石を転がして開けたり閉めたりするためのレールです。

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近くに、墓の入口のふたに使われる丸い石が置いてありました。しかし、本物は、もっと大きなものだそうです。

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墓の入口のドアには、”HE IS NOT HERE FOR HE IS RISEN” と書かれています。そうです、イエス・キリストは、ここにはいません、よみがえられたのです。

(マタイ28:6) ” ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。”

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墓は、二つの墓室から成っていて、奥の部屋に三つの埋葬用ベンチが岩の側面に掘られた跡があります。(下の図の4と5の奥)

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左側の埋葬用くぼみ(上の図の上の4)です。埋葬用ベンチの跡が見えますが、長い間に削られてしまったとのこと。

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中央の埋葬用くぼみ(上の図の5の奥)

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右側の埋葬用くぼみ(上の図の下の4)

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このような古い墓ですが、1974年に行なわれた考古学的調査によると、これらは第一神殿時代の大きな共同墓地の一部なのだそうで、第二神殿時代の墓ではないそうです。マタイの福音書には、アリマタヤのヨセフが、十字架からイエスを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた、と書かれていますから、イエスの墓はここではないと思われますが、この場の雰囲気は、聖書に記述された場所と良く似ており、イエスの死と復活を思う祈りの場所としては大変良い場所だと思います。

お墓の前は、木や花が美しく植えられ、園になっています。アーモンドの花がきれいでした。

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聖墳墓教会のきらびやかさと騒々しさに比べ、ここは落ち着いた雰囲気で、静かに2000年前のイエス・キリストの死とよみがえりを偲ぶことができます。

私達は、小さな集会場所のひとつに集まって、ツアー最後の明石牧師のメッセージを聞きました。

”今回の旅行を通して、主が生きて働いておられることを知ることができ、ありがとうございます。主が企画し、導いてくださいました。最後に、死とよみがえりを思うことが出来る場所に導いてくださり感謝します。.....  根本的な救いは、死んでも生き返ることです。この世の悲しみは死につながりますが、神のみこころに沿った悲しみは、キリストの苦しみと同じく、復活の喜びにつながります。....”

今回の旅行は、参加者全員の安全や健康が守られ、素晴らしい天候に恵まれ、リーダーやガイドさんやメンバーの皆さんと親しく交流でき、予定外の場所も見学でき、イスラエルと聖書をより深く学ぶ機会になり、本当に素晴らしいものでした。感謝!!!

この後、正餐式と賛美が行なわれました。

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広い園内では、あちこちで、世界各国から来たグループが、賛美集会をしていました。

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これで、ツアー最後の見学も終了し、出口を出たらツアーメンバーはバスに乗ってテルアビブ空港へ向かいます。私達夫婦は、しばらくエルサレムに残るため、荷物を降ろして貰い、ここで皆さんとお別れです。今まで一緒にいた人たちがいなくなると急にさびしくなりました。

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私達夫婦のこの日の宿は、旧市街の真ん中にあるルーテル教会のホスピス(宿泊施設)を予約していました。時間が夕刻になっていたこともあり、恭仁子さんはタクシーを手配してくれました。「園の墓」の出口で待っていましたが、なかなか来ません。20分くらい経ってもまだ来ません。事務所の人に再確認したら手配したとのこと。だんだん日が暮れてきて暗くなってきました。園の出口も閉まって鍵がかけられました。しかし流しのタクシーを拾うのは心配なので、しばらく待っていると、やっとライトを点けたベンツのSUV(スポーツ用多目的車)が細い道を登ってきました。アラブ系のこわもての運転手でしたが、良さそうな人なので乗り込んでヤッフォ門に向かいました。

夕刻のラッシュアワーのためか、大通りに出ると大渋滞でした。乗ったところはダマスカス門の近くで、ヤッフォ門まで行くわけですから、距離的には近いのですが、一方通行のため大回りします。そして、大渋滞なので、途中からいろんな車が割り込んできてなかなか進みません。しかし、このタクシーの運転手は強気でした。割り込んでくる車に軽くぶつけて怒鳴りつけて押しやって進んで行きます。運転手は、「どうだ。速いだろ。俺の車はスーパー・タクシーだからね。」と言って得意げに話し出しました。「あんたは日本から来たのか?日本の車はいいね。トヨタの車はいいよ。だけど、俺はベンツが好きだね。」 このタクシーの車はベンツの高級車でした。「俺は、この車が気に入っているよ。新車だと30万シェケル(約600万円)だけど、中古で20万シェケル(約400万円)で買ったんだ。あんたの車は何だい?」 運転手と車の話をしているうちにヤッフォ門に着きました。もう夜ですが、明るい街灯の下で多くの人々が歩いています。

スーツケースとリュックを降ろして、ホテルに向かいました。ルーテル教会のホスピスは、旧市街のダビデ通りを奥に進んで細い横道に入ったアルメニア人地区にあるので、車は入れず、200mほど歩かねばなりません。事前にホテルの場所を知っておかないとまずいと思っていたので、この2日前の昼の自由時間に、私達夫婦は旧市街のこのホスピスの入口を訪ねて場所を確認していました。そのため、暗くなっても迷わず向かうことが出来ましたが、夜の7時頃でも旧市街のダビデ通りはまだ賑やかで人が一杯でした。私達が重いスーツケースを引きずりながら、緩い階段状のダビデ通りを下っていくと、案の定、親切そうに、「持ってあげましょう」と言ってスーツケースに手を伸ばしてくる男達がいましたが、「No thank you!」と言って振り払いながら歩いて、やっとホテルにたどり着き、チェックインを済ませて部屋に入ったのは夜8時頃でした。まだ、夕食を食べていないのを思い出しましたが、宿の周りに店はなく、リュックの中からカップヌードルを取り出し、宿でお湯を貰って夕食としました。至れりつくせりの快適なパックツアーとは随分違う後半の旅が始まりました。