Rockfeller Archaeological Museum(ロックフェラー考古学博物館)

訪問日: Sat. 2 March, 2013

野菜作りや雑用に追われ、しばらく、このBlogを書けませんでしたが、続きを書いていきたいと思います。

3月2日の土曜日、ゼデキヤの洞窟を出た後、大通りを挟んだ向こう側にあるロックフェラー考古学博物館へ行きました。ここは、10時から開館するのですが、10分ほど早く着いてしまいましたので他のグループの人たちと共に門の外で待ちました。外側の壁は重厚な建物と一体になっています。

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ロックフェラー考古学博物館は、英国委任統治時代の1930~38年にかけて、アメリカの大富豪ジョン・D・ロックフェラー2世による200万ドルの寄金によって建てられました。素晴らしい建物の中に、発掘された彫刻や装飾品がたくさん展示されています。

ロックフェラー家というのは、ユダヤ系の大富豪かと思っていましたが、実は、ユダヤ系とは関係なく、アメリカの熱心なバプテスト系のクリスチャンの家系だそうです。初代はスタンダード・オイルという石油会社を創業して富を築いたアメリカの大富豪であり、その資金力による教育や科学に関する慈善活動が有名で、幾つかの大学の設立、国連本部の土地建物の寄贈、ヨセミテなどのアメリカの幾つかの国立公園の設立などが揚げられます。教会への十分の一献金もきちんと収めたとか。ユダヤの大富豪で有名なのは、金融業で莫大な財をなしたヨーロッパのロスチャイルド家が挙げられますが、こちらはイスラエル建国に大きく関わっていたそうです。

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10時になってやっと門が開き、中に入りました。八角形の塔を中心とした美しい建物です。

庭のあちこちにも古代の遺物が置かれています。これは、大きな石の棺。

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きれいな庭にはオリーブの木が植えられ、向こう側にオリーブ山が見渡せます。

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館内は、撮影自由でした。日本の博物館では撮影自由のところは殆どないですね。

最初に撮ったのは、この「良い羊飼い」の像。これは、4~5世紀のビザンチン時代のもので、カイザリアの円形劇場の外にあったものと似ています。

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羊を背にかついだ羊飼いは、イエスが信ずる者たちに心を配るというイメージを表す、初代キリスト教会の代表的なモチーフでした。聖書には次のように書かれています。

”わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。”(ヨハネ10:1)

” 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。”(ルカ15:4-6)

この彫像はガザで発見されたもので、大理石でできており、背面は彫られていないので、壁か家具に取り付けられていたものと思われるそうです。

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下の写真は、鷲(イーグル)とメドウーサの頭を描いたモザイクの一部です。

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説明によれば、ナザレの近くにあるシナゴーグのモザイク床の一部で、祈りの部屋の隅で発見されたもの、4世紀頃のもので、ギリシャ神話に出てくるメドゥーサの首を描いたものではないかとのこと。メドゥーサというのを調べてみると、女神でありながら、頭髪は無数の毒蛇、見たものを石に変える能力を持つギリシャ神話の怪物だそうです。ユダヤ教の教えに反する異教的な偶像がシナゴーグの中に描かれているのは驚きです。しかし、ビザンチン時代のシナゴーグでは、このようなモザイク画が広く取り入れられていたそうで、これは、ヘレニズムの装飾がユダヤ教の中に持ち込まれ、当時の賢者たちはヘレニズムの習慣とユダヤの律法との融合を試みていたようだとのことです。

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3世紀から6世紀頃の上ガリラヤ地方にあったシナゴーグの木製模型です。

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シナゴーグのリンテル(入り口の上を飾る横石)に彫られた7枝のメノラー(燭台)です。ヘブロンの南の丘にあるシナゴーグで発掘された3-4世紀頃のもの。

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これも、シナゴーグのリンテル(入り口の上を飾る横石)に刻まれたメノラー。メノラーはシナゴーグのシンボルとしてよく使われたとのこと。

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3世紀頃の上ガリラヤにあったシナゴーグから発掘されたもので、聖櫃(Holy Ark)が置かれた壁のくぼみの上のリンテル(横石)に彫られた装飾です。エルサレム神殿の聖櫃(契約の箱)には十戒の書かれた石板が入っていましたが、シナゴーグの聖櫃にはトーラーの巻物が保管されていて、エルサレムの方向に位置する壁に設置されていたそうです。

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三角の切妻屋根の両側には、二頭のライオンが彫られています。これは、このシナゴーグや、ユダヤ人コミュニティの守り手として描かれているようです。また、三角屋根の中央前面に丸い貝殻のような模様が彫られており、その真ん中に細い穴があけられていますが、ここに「永遠の火(Eternal Lamp)」がつりさげられていたと思われ、このことも、この下にトーラーが保管されていたことを示しています。

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たくさんの人物の彫像も保管されていました。これは、埋葬のための半身像でお墓の入り口付近に置かれたものとか。これは、サマリアで発掘された3世紀のものですが、ローマ・ビザンチン時代ではよく見られた習慣とのことです。

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アフロディテ(ギリシャ神話の美の女神)の彫像です。3世紀のものとか。エルサレム郊外のアインカレムにある洗礼者ヨハネの教会を発掘した時に発見されたとのこと。エルサレムが滅ぼされたのちにローマが持ち込んだものでしょうか、

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大理石で作られた哲学者の半身像。サマリアで出土されたもので、ローマ時代の一世紀頃作られたもの。快楽主義者として知られるエピクロスの弟子のメトロドロス(紀元前3世紀頃)の像とのこと。やはりヘレニズムによってもたらされたもの。

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エリコで発掘された古代ヒクソスの墓を再現した展示がありました。

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これは、かの有名なイギリスの考古学者ケニヨン女史によるエリコ発掘の時(1954年)に発見されたもので、ヒクソスの時代(BC1700-1600年頃)のものだそうです。きわめて保存状態が良く、家族の墓ですが、紀元前2000年頃に作られたものが、300-400年後に再度使用されたもので、右奥に男の主人の骨と、女性と子供の骨があり、さらに右のお皿の中に動物の骨が見えます。3本足のテーブルとか長椅子の足、木のトイレの箱とかエジプトから持ち込まれたアラバスター製の三つの壺も見られるとのこと。

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これらの埋葬物から推定した当時の住人の生活が描かれていました。紀元前1700年とは思えない豊かな生活の様子です。

ちなみに、Wikipediaでヒクソスというのを調べてみると、古代エジプトに登場した人々で、「異国の支配者たち」を意味する古代エジプト語に由来するそうです。BC1720年には、異国人の王としてエジプトを支配したとか。そして、その起源ははっきり解明されていませんが、西セム系の人々であるとか、その人名にはセム系の名前(たとえばヤコブとか)が多いとか、なにやら、旧約聖書のヨセフ物語を連想させます。いやあ、考古学はなかなか面白そうですね。

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石灰岩で作られた女性の埋葬用半身像です。ベテ・シャンで発見された3-4世紀頃のもの。女性の墓の入り口に置かれたもので、荒削りですが、宝石で飾られており、目は大きく飛び出ていて、ヘレニズム・ローマと中東の特徴を併せ持ったもので、サマリアやベテ・シャン地方特有のものだそうです。

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その他にも、たくさんの出土物が展示されています。

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お皿や壺類。

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ランプや各種の土器。

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水差しなどの食器類や、

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ガラス器など。

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面白い形の水差し。

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大理石でできた女性彫像。アシュケロンで出土。ヘレニズム時代のBC2世紀ごろのもの。ドレスのひだや体の線が美しく彫られている。これらの特徴から小アジアのペルガモンで作られたものであろうとのこと。

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ベテ・シャンで出土した人間の体に模した棺。BC12世紀のもの。貴人の棺おけ。

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こちらは、Tell el-Far’ah southで発掘された棺。

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次の数枚の写真は、聖墳墓教会の西側入り口の上の横石に彫られた壁画で、イエスの受難物語になっています。これらは、長い間風雨にさらされ損傷が激しかったので1935年に切り取られ、ロックフェラー博物館に移されたのだそうです。

まず、「ラザロのよみがえり」。

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「イエスの足に接吻するマリアとお世話するマルタ」

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「エルサレム入城」

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「最後の晩餐」

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最後に入った部屋は、エリコの近くにあるヒシャム宮殿からの装飾彫刻品がたくさん展示されていました。ヒシャム宮殿は、8世紀の前半に、ウマイヤ朝のカリフ、多分、アルワリド二世(AD743-744)によって建てられたものですが、その完成前にAD747年の大地震で壊されました。

エリコにある宮殿跡は、現在、日本政府(JICA)がパレスチナ自治政府に対する援助の一環として観光開発プロジェクトが進められているようです。

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非常に精密な彫刻が彫られています。

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動物の彫刻もたくさんあります。

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女性の彫刻

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これが、カリフの像でしょうか?

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ロックフェラー博物館には、豊富な展示がありすぎて、とても、全部は見切れませんでした。帰国後に、「聖都エルサレム5000年の歴史(関谷定夫著)」を見てみると、この博物館の見どころは、ガリラヤ地方で発見された約20万年前の「ガリラヤ原人」の頭蓋骨、ベテ・シャン出土の「セティ一世戦勝記念碑」、「メギド出土の象牙細工」、かの有名な「ラキシュ書簡」など、いろいろ紹介されていましたが、そのほとんどを見ていませんでした。やはり、もう一度見に行く必要があります。

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その後、私たちは、エルサレムの城壁の外側を東に進み、ケデロンの谷にあるアブシャロムの墓に向かいました。