Tower of David(ダビデの塔)

訪問日: Sun. 3 March, 2013

この日は日曜日なので、ヤッフォ門を入ったところにあるクライスト・チャーチ(アングリカン)で日曜礼拝に出席した後、その向かいにあるダビデの塔に行きました。

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ダビデ王が水浴するバテシェバを見たのはこの塔の上からだという言い伝えがありますが、ここはダビデの町からもずいぶん離れており、実際には全く関係なく、ビザンチン時代のキリスト教徒が「ダビデの塔」と呼んだことが名前の由来だとのことです。入り口を入ると、もう一つ入り口があり、石造りの頑丈な建物で、要塞(シタデル)とも呼ばれています。

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実際にこれを造ったのは、やはりヘロデ大王で、紀元前一世紀頃とのこと、エルサレムを守るために強固な要塞を造り、3基の塔を建てて、それぞれに、妻のミリアム、兄のファサエル、友人のヒッピコスの名前を付けました。最初の写真にある四角い大きな塔がファサエルの塔だといわれています。その後は、ローマの進駐軍や十字軍の司令本部がここに置かれ、さらにマムルク朝やオスマン・トルコのスレイマン一世により増築されて現在の姿になりました。下半分に積まれた石にはヘロデ大王建築に特有の縁取りがされています。

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ファサエルの塔の屋上が展望台になっており、途中に全体の模型がありました。

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下の図は、一番大きいファサエルの塔の位置を示しています。上半分の小さい石が積まれた部分はマムルク朝時代に改築されたものとのこと。

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内庭です。右上の円柱の塔は、1655年に建てられたイスラム教のもので、「ダビデの塔」ではありません。

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この庭の発掘は1969年から何回か行われ、ハスモン時代からオスマン時代にかけての各年代の層が明らかにされました。

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下の図で、各年代の遺跡が色分けされています。一番古いのは紀元前100年のハスモン時代です。

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よく見ると、ハスモン時代の石壁の上に、ヘロデ時代の石壁が組み上げられているのが分かります。イエス・キリストの時代の紀元一世紀前後には、これらの石壁の建物群、および、南に隣接していた建物群がヘロデ大王の宮殿だったと言われています。

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さらに急な階段を上ると、屋上の展望台に出ます。

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屋上展望台から見たシタデルの内庭。

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展望台からは旧市街を見渡すことができます。東側を望むと、神殿の丘の「岩のドーム」と、その向こうにオリーブ山。

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神殿の丘の手前は、旧市街で、ヘロデ時代の「上の町」、3日間泊まったルーテル・ゲストハウスも途中にあるはずですが、同じような建物が密集していてよく分かりません。

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北の方向には、聖墳墓教会の大きな黒いドームが見えます。

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すぐ下を見ると、朝、礼拝したクライスト・チャーチが見えます。

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この教会の敷地内にゲスト・ハウスがありますが、なかなか良さそうでした。ヤッフォ門を入ってすぐなので交通の便もよく、もし次の機会があれば、こちらに泊まりたいと思います。

ダビデの塔の建物内部には、エルサレムの歴史博物館が設けられています。これは一巡するとエルサレムの歴史が一目で分かる素晴らしいものでした。次の記事でご紹介します。