Jaffa Gate and the Vicinity(ヤッフォ門界隈)

訪問日: Feb 27 ~ Mar 3, 2013

エルサレム旧市街を取り囲む城壁には多くの門がありますが、ここは西の正面玄関ともいうべきヤッフォ門です。広い道が城壁の中まで入りこめるようになっており、タクシー乗り場があったり、観光案内所があったり、ホテルやレストランもあって便利なところなので、旧市街滞在中には何度も行きました。門と言っても他の門と違って、アーチのある出入口が見当たりません。確か、オスマン帝国時代の図では、ここは城壁で閉じられており、小さなアーチのある門が描かれていたのですが??

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と思って、左手の大きな壁の裏側に回ってみると、、、ありました。アーチ状の門があって、中で直角に曲がっていました。外敵が容易に侵入できないようにこのような構造にしてあったのだそうです。以前は城壁がつながっていたので、この門を通って出入りし、夜間は門を閉じていたそうです。

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では、いったい何故この門の横に広い進入路が作られたのでしょうか?

いろいろ調べてみると、1898年、時のドイツ皇帝カイザー・ヴィルヘルム2世がエルサレムを訪問した時に、皇帝とその一行が馬で旧市街に乗り込めるように開けられたそうです。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、1898年の10月29日から11月4日まで滞在したそうですが、いったい何故そのような短い滞在のためにわざわざ城壁を壊し、お堀を埋めたてて広い道を作ったのでしょうか?

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、中近東への進出をもくろみ、1898年にイスタンブールを訪問してオスマン帝国のスルタン、アブドゥル・ハミド2世と親交を深めましたが、その後、聖地エルサレムを訪問して一週間滞在しました。弱体化していたオスマン帝国もドイツとの同盟を望み大歓迎しました。そして歓迎のしるしとしてアブドゥル・ハミド2世は皇帝ウィルヘルム2世夫妻の一行を迎えるため、ヤッフォ門の横に広い通路を設け、道路や古い城壁を磨き、古い建物は取り壊され、街灯や商店街を整備し、水道施設も整備され、数世紀の間放置されて荒れていたエルサレムの町を一新させました。ちなみに、皇帝の滞在したのはヤッフォ門のすぐ近くのグランドホテルですが、ニューインペリアルホテルと名を変えて現在も営業しています(下の写真の中央の3階建てのビル)。料金はそんなに高くないようなので、このホテルに泊まるのも面白そうです。

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皇帝ウィルヘルム2世はこれを契機として四角い塔を持つ「ルーテル贖いの教会」、シオンの丘に建つ大きな「マリア永眠教会」、妻の名を取った「アウグスタ・ビクトリア・ホスピタルと修道院」など、幾つかの施設の建築を進めました。

「皇帝ウィルヘルム2世のエルサレム訪問」についての詳しい記事がありましたので、ご参照ください。

ヤッフォ門を入ると、その先のビルの間に狭い道路が続いています。これが、旧市街の中心を通って神殿の丘に向かう「ダビデ通り」です。

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階段状の石畳が敷かれた狭い「ダビデ通り」は緩やかに下っていて、両側は、お土産屋でびっしり埋め尽くされています。

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ヤッフォ門を入ってすぐ右側にはダビデの塔がそびえています。

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「ダビデ通り」に入らずに、「ダビデの塔」の向こうを右に回って行くと、静かな雰囲気のビルが並んでいます。この先はアルメニア人地区になります。

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そのビルの一角に鉄格子の入り口があり、そこを入ると「クライスト・チャーチ」というイギリスの教会があります。

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この日は、日曜日だったので、午前の礼拝に出席しました。「クライスト・チャーチ(Christ Church)」というのは、アングリカン、日本では、聖公会とか英国国教会とか言われている教派のもので、格式にのっとった礼拝でした。この日は英語での礼拝で、地元の人やエルサレム訪問中の巡礼客が大勢集まっていました。土曜日にはヘブライ語の礼拝があり、エルサレムでのメシアニック・ジュー(イエスを救い主と信じるユダヤ人)の集まりの場でもあり、また、金曜日にはアラビア語の聖書勉強会も行われているようです。

この教会は、中東のプロテスタント教会としては最も古く、1849年に完成しました。そもそもは、ドイツ系ユダヤ人で英国国教会のマイケル・ソロモン・アレキサンダーという人が1842年にエルサレムに来て司教として活動したのが始まりです。彼は、若い時にイギリスでヘブライ語を教えていましたが、その後ラビ(ユダヤ教の指導者)となった後、イエス・キリストを信じるものとなったという変わった経歴の持ち主です。

アレキサンダー氏がエルサレムに入った時は、教会の建物も集会もありませんでしたが、徐々に仲間を増やして礼拝を持つようになりました。また、彼は、貧しいユダヤ人のために病院を作り、ユダヤ人や異邦人の教育のための大学を作ったりしましたが、3年後の1845年に突然死んでしまいました。

オスマン帝国の反対はありましたが、その後の1849年にやっと石造りの簡素な教会が完成しました。その内部は他のアングリカンの教会とは異なり、ユダヤ教のシナゴーグのようでした。1948年の独立戦争でこのあたりはヨルダン軍に占領され、旧市街にあるシナゴーグは破壊されましたが、当時の教区牧師が急いでスーク(イスラムの市場)に行ってオリーブの木を買い、十字架を作って教壇の上においてキリスト教会であることを証明して難を逃れたとのことです。

この教会については、下記をご参照ください。

Christ Church Jerusalem

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また、この教会に付属するホスピス(宿泊施設)もあり、結構人気があるそうです。このホスピスであれば、入り口までタクシーで乗り付けられるので、荷物の多い旅行者には便利、次回はこちらに泊まってみたいと思います。

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ヤッフォ門を出ると、そこから西はエルサレムの新市街が広がっています。ユニークなデザインのビルが立ち並び、広い道路が走っています。この先を西に5分ほど歩いたところに「タイム・エレベーター」という映画館があって、エルサレムの歴史をバーチャルリアリティで体験できます。つまり、映像が立体的で、座席が映像とともに動くので臨場感あふれるイスラエルの歴史を体験できます。エレベーターで地下に下って、ダビデの町から始まり、1967年の六日戦争に至るまでの歴史を約40分で見ることができます。教育として見せるためか、学校の先生に引率されて大勢の子供たちが来ていました。なかなか興味深い内容でした。次のホームページで一部を見ることができます。

Time Elevator Jerusalem

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上の写真の右から中央やや上にかけて、かまぼこ型の屋根のアーケードのある通りが見えます。これが、マミーラ・モールと呼ばれる近代的なショッピング街です。

このマミーラ・モール一帯は、ホテル、商店、レストラン、オフィス、コンドミニアム、大駐車場などが一体となった巨大な複合施設になっています。この施設の開発は1970年代に始まり、1990年代に完成しましたが、その後も、保守主義者や宗教者、景観保護主義者などの反対があって長い間議論が続き、やっと2007年から2008年にかけてオープンできたとのこと。実に計画からオープンまで37年かかったそうです。いかにもイスラエルらしいですね。

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今では、なかなかしゃれた建物にしゃれたお店がたくさん並んでいて大勢がショッピングを楽しんでいますが、もとはと言えば、1800年代にはアラブの大金持ちが豪邸を構えていたところだとか。その後、英国統治時代に入って高級商店街が並びはじめたそうです。しかし、1947年になってイスラエル独立の機運が高まってくるとアラブ人の暴動が起こって多くのユダヤ人の商店が破壊され、さらに、1948年のイスラエル独立後のアラブ・イスラエル戦争(独立戦争)では多くの砲弾が撃ち込まれて廃墟になってしまいました。その後、貧しい人たちが住み始めてスラム街となりましたが、1970年に時のエルサレム市長が再開発を計画し、イスラエルの著名な建築家を招いてプロジェクトを立ち上げて37年後に今日のモールがオープンしました。

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ヤッフォ門を出て北西に向かい、新門の先あたりを通るヤッフォ通り沿いに最近開通した路面電車(Jerusalem Light Rail)が走っています。この路線は2011年8月に完成し、エルサレムの南西から北東にかけて、13.8Kmを走っています。この日からは、セントラルバスステーション近くのB&Bに2泊する予定なので、早速乗っていくことにしました。

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切符の買い方がよく分からず、券売機の前で首をひねっていると、背の高い好青年が教えてあげましょうと言って丁寧に教えてくれました。しばらくすると、イスラエル人のおばあさんが私のところへ来て、切符の買い方を聞きにきました。私は、まだよく分からなかったので、先ほどの青年のところへおばあさんを連れて行ってお願いしました。イスラエルの人は大変親切で気さくな人たちです。

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