Weizmann Institute of Science(ワイツマン科学研究所)

訪問日: Feb 14, 2016

この日は、朝食後、宿の主人に近くのレンター・カー・オフィスまで送ってもらい、レンタ・カーでレホボト市にあるワイツマン科学研究所に向かいました。ワイツマン研究所は、最先端の科学技術を研究している現代のイスラエルを代表するところなので、是非見ておきたかったのです。見学希望者は、事前にネットで予約してくださいとあったので、15日に予約していたのですが、日付を間違えたので一日早くなってしまいました。門衛さんに説明して、なんとか入ることができました。

門を入ると、中は広々として公園のように緑が多く、その中に、大きなビルの研究棟が整然と並んでいました。その中央あたりに、奇妙な塔が立っていました。これは、コフラー・アクセラレーター(Koffler Accelerator)と名づけられた粒子加速器で、原子核や素粒子の研究に使われましたが、現在は使われていません。未来的でユニークな形をしているので、ワイツマン研究所のシンボル・タワーとなっています。

ワイツマン研究所には、化学、物理学、数学、コンピュータ・サイエンス、生命科学などの研究部門があり、ノーベル賞やチューリング賞の受賞者を数多く輩出している世界でも有数の科学研究所ですが、Fineberg Graduate Schoolというマスターコースとドクターコースを持つ大学院も併設されています。講義は英語で行われ、海外からの研究者や留学生も多く、イスラエル政府の奨学制度もあるので、日本からも留学する人がいるようです。

キャンパスには、珍しい植物があちこちに植えられていました。これは、アフリカのボツワナに行ったときによく見かけたソーセージの木で、ソーセージの形をした大きな実がぶら下がっています。研究所内では、世界各地の植物を植えてイスラエルで育つのかどうか研究しているのだそうです。

これは、ラベンダーの一種で、看板に「Lavandula Pinnata」と書かれていました。モロッコ沖のカナリア諸島のものだそうです。

きれいな花が咲く木ですが、これもどこかの国からもってきたものでしょうか?

しばらく散策したのち、見学施設のあるVisitor Centerに向かいました。広い芝生の中で、みなさん、ゆったりくつろいでいます。

Visitor Centorは、このビルの左端にありました。受付で予約は明日なのだけど見学できるか聞くと、では、あの人たちと一緒に見てくださいとのこと。そこには、20人くらいの上品な感じの年配の紳士とご婦人のグループがいましたので、合流しました。

ワイツマン研究所の名前は、ハイム・ワイツマン博士(Dr. Chaim A. Weizmann)から取られましたが、ワイツマン博士とは、どういう人なのでしょうか?下の写真はWikipediaから引用したものです。

ハイム・ワイツマンは、1874年、ロシアの片田舎で生まれました。彼は、ドイツとスイスで化学を学び、ジュネーブ大学で化学を教えていた頃に、シオニズム運動に参加しました。シオニズム運動とは、全世界に離散したユダヤ人が離散前の故郷パレスチナの地に帰り、祖国を再建しようというものです。彼は、1904年にイギリスに移住し、マンチェスター大学で教鞭をとるかたわら、バクテリアを使ってデンプンからアセトンを合成する方法を開発しました。当時は、第一次大戦がはじまろうとしている時で、爆弾製造のために大量のアセトンが必要とされました。ワイツマンはイギリスと協力してアセトン製造の工業化による大量生産に成功、これを契機にチャーチルをはじめとするイギリス政界で名を知られるようになり、外務大臣バルフォアの協力を得て、1917年に、イギリスがユダヤ人国家の建設を認めるという「バルフォア宣言」を出させるのに成功しました。これが元になって、1947年国連でのパレスチナ分割決議案採択となり、1948年5月、ついに2000年来の夢であったイスラエル国家の独立が実現しました。リーダーとしてベングリオンが初代首相になりましたが、ワイツマンは功績を讃えられて初代大統領に就任しました。

ワイツマンは、1934年に、前身となるダニエル・シーフ研究所を設立して有機化学の研究を行いましたが、1949年に現在の名称になりました。

小さな展示スペースには、ワイツマンが、アセトン製造の研究に使った分銅と、研究のメモ書きが展示されていました。1906年、マンチェスターと書かれています。

ワイツマンが発見したクリストリジウム属のバクテリアの写真、ワイツマン菌(Weizmann Organism)と呼ばれています。この菌を用いてデンプンを発酵させることによりアセトン・ブタノールの大量生産が可能になりました。ワイツマンは1919年にこの特許を取得しています。

この研究所では、世界的な発明発見が数多くなされており、その一部が紹介されていました。

RSA Cryptography   …   in secure internet protocol についての説明がありました。

RSAというのは、コンピュータの世界で使われるデータの暗号化技術です。1977年に発明され、現在でも、特に、インターネットにおける暗号化の強力な手段として使われています。RSAという名前は、Ron Rivest, Adi Shamir, Len Adleman の3人が発明した技術なので、3人の名前の頭文字を取って命名されたそうです。このうちの、Adi Shamir氏が、ワイツマン研究所の科学者です。彼は、その研究により、2002年にチューリング賞を受賞しました。チューリング賞というのは、コンピュータ科学でのノーベル賞ともいわれるものですが、ワイツマン研究所では、他にも2人が受賞しているとのことで驚きです。ちなみに、2014年からGoogleがチューリング賞のスポンサーになり、賞金が100万ドルに増額されました。日本人受賞者はまだいません。最近の話ですが、Adi Shamir氏は、2017年の日本国際賞を受賞されたとのこと。日本とのつながりも深いようです。

次の写真は、Copaxoneという薬品、生命科学分野の発明です。

これは、ワイツマン研究所で開発され、イスラエルに本社のあるTeva Farmaceuticalという会社が製品化した薬で、多発性硬化症という難病の治療薬だそうです。ネットで調べてみると、世界各国で使われているものですが、日本では最近まで承認されておらず、やっと2015年に武田薬品がライセンス契約して日本の承認も取り、「コパキソン®皮下注20mgシリンジ」という名で製造・販売されることになったとのこと。武田薬品の重要な戦略商品として発表されていました。

また、ガリウムひ素の半導体チップも展示されていました。サブミクロン・センターでは、ナノ単位(10のマイナス9乗m)の微細加工を研究しているようです。

また、未来のノートの見本が展示されていました。日記風の研究ノートですが、真ん中の枠の写真は動画になっていて、ページをめくると別の場所に動画が現れます。ここでは、上から投影していました。

展示の次は、大きな部屋に案内されました。この部屋の両隅には長椅子が置いてあって、両側に全員座ると部屋が暗くなり、両側の壁一面に映像が写されました。いろいろな分野の科学者が順番に登場し、子供の時にどのようにして科学に興味を持つようになり、科学に魅せられたか。その科学はどういうものか。現在どういう研究をしているかを美しい映像と音響で説明していました。青少年の教育用、あるいは、入学希望者へのオリエンテーション用のものではないかと思われ、科学教育に対するイスラルの力の入れ具合が伝わってきます。 この日は、年配の紳士・淑女が満足そうに見ていました。

何人もの科学者の紹介と科学へのいざないの映像がありましたが、そのうちの一つをご紹介しておきます。

ビジター・センターの見学が終わっても、年配の紳士・淑女の一団は外に出てまとまって歩いていきます。どこへ行くのかなと思っていたら、一人の老婦人が、やさしく、「ここから先はあなたたちには必要ないわね。」と言って行ってしまいました。

後で、一団が行った先を見てみたら、そこは、International Plazaと書かれたきれいな壁のある一角で、壁面には世界各国の多くの人々の名前が刻まれていました。あの人たちは、国外から寄付金を送付したユダヤ系の人々だったのです。ワイツマン研究所は、今でも、国外の多くのユダヤ人に支えられているようです。

Visitor Centerに隣接して、きれいなレストランがありました。お腹も空いたので、ここで昼食をとることにしました。食事をとりながら、パソコンを開いて仕事をしている人もいます。

ちょっと高めでしたが、バイキング形式でメニューも豊富でした。野菜中心の健康的なものが多いです。

主食は、パスタ系。おかわり自由です。

ワイツマン研究所の構内地図です。残念ながら訪問した時には持っていませんでした。あとでネットで見つけましたが、よく見ると、この時見学したのは全体の四分の一ほどでした。もっと奥のほうへ行くと、教育用のサイエンス・パークやワイツマン博士の記念施設とか、いろいろあるようなのですが、今回は見ることができませんでした。機会があれば、もう一度行ってみたいと思います。