Siloam Pool(シロアムの池)

訪問日: Wed, 27 Feb 2013

ダビデの町を一旦出て、ケデロンの谷を南へ下り、シロアムの池に行きました。

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入口を入ると、石畳の道がありました。一方に上りの石段が5段ほど、もう一方は下りの石段が5段ほどあります。これは、第二神殿時代、すなわち、イエス様がいた紀元1世紀頃のシロアムの池の一部だそうです。ここは、ごく最近、2004年にRonny Reich と Eli Shukronによって発掘されました。同時に、シロアムの池から神殿の丘まで登っていく巡礼の道と、その下の排水溝も彼らによって発掘されました。Eli Shukron氏は、現在も、リーダーとしてダビデの町の発掘を継続しているそうです。

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この第二神殿時代のシロアムの池をもっと西に行くと、ビザンチン時代のシロアムの池があります。ここからは、その池の近くに建てられたイスラムのモスクの尖塔(ミナレット)が見えます。ビザンチン時代には教会が建てられていましたが、その後、モスクに変えられました。

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第二神殿時代のシロアムの池の想像図が描かれていました。先ほど見えた石段は、四角い池の周囲に設置された石段の一部です。ヘロデ大王は、多くの巡礼者が神殿の礼拝の前に沐浴して身を清めることができるよう、それまでのシロアムの池を拡張整備し周囲に石段をつけました。

ヨハネの福音書9章には、イエスが道端で見かけた盲人の目を開かれたことが書かれていますが、それは、この池で起こったことでした。

”イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。” (ヨハネ9:6-7)

また、シロアムの池の水は、神殿できよめのために使われる無傷の完全な赤毛の雌牛を屠る儀式に使うきよめの水や、仮庵祭のための水の供給源だったそうです。仮庵祭の前日には、神殿の祭司達は列を成してシロアムまで下り、金の容器に水をすくい、それを持って神殿に戻って祭壇にふりかけ、雨乞いの祈りをしたそうで、シロアムの池までの往復の行進には歓喜の歌と踊りが伴ったということです。(「エルサレム5000年の歴史(関谷定夫著)」より)

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少し上の方からシロアムの池の跡を写したものです。2004年までは、ここは地面に埋もれており、知られていませんでした。この発掘された部分は、池の北端に当たるそうです。右側は土に覆われたままですが、ここは、ギリシャ正教の教会の庭なのだそうです。

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第二神殿時代のシロアムの池跡をさらに西に行くと、ビザンチン時代のシロアムの池と言われる小さな水溜りがありました。ここが、ダビデの町の中にあった、ウォレンの竪坑のところから始まるヒゼキヤトンネルの出口になります。つまり、ギホンの泉から引かれた水が出てくるところです。地上から32段の階段を下りたところにあります。

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シロアムの池は、ローマ軍がエルサレムを征服した紀元70年に破壊されましたが、ビザンチン時代になって紀元5世紀頃に、ヒゼキヤトンネルの出口に大きな教会が建てられました。これは、イエスが盲人を癒されたことを記念して建てられたものと言われています。この教会の前に人工の大きな池があり、男女別の大理石の浴場も設けられており、多くの癒しがなされたそうです。

しかし、614年にペルシャ軍によって破壊され、その後再建されませんでした。切断された丸い円柱は、当時の遺物のようです。

1890年に池の北西端に小さなモスクが建てられ、現在も、ミナレット(尖塔)が建っています。出口の石のアーチは、もっと最近のものだそうです。

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トンネルの出口からは、アメリカ人の観光客が出てきました。トンネル内の水の深さを説明しています。やはり、腰のところまで水があったようですが、皆さん元気でした。

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この女性も楽しそうに説明しています。

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そこへ、近くに住むアラブ人の女性が水を汲みにきました。やはり、この水は現在も2000年前と同じように生活に使われているようです。

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その先には、これもEli Shukron氏によって発掘された神殿の丘へ登るための巡礼の道(Herodean Street)の入り口があります。

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壁には当時の様子が描かれていました。下に見える四角い池がシロアムの池、そこからテロペオンの谷沿いに神殿の丘に向かう道(青い矢印)が延びています。この道と、その下に掘られた排水溝が発掘されて、現在公開されています。今回は、当初予定に入ってなかったそうですが、恭仁子さんの計らいで歩いてみることが出来ました。但し、上半分は有料になるとのことで、途中で外に出ることになりました。

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上り坂が続きます。最初の部分には、石の階段があって、幅の違う階段が続いています。

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当時の道の想像図が壁に描かれていました。やはり、同じような階段が見えます。とすると、イエス様も、弟子達も、癒された盲人も、この道を通ったことになります!当時は、道の両側に店や住居が立ち並び、多くの巡礼が行き来する賑やかな場所だったようです。

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道は狭くなり、両側に石垣で挟まれています。どうやら、どこかから、道の下にある排水溝に下りて、その底を歩いているようです。

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この排水溝の頭上に、ヘロデ時代の道路があったと思われます。

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私達は、有料となる上半分の道は通らずに、途中で外に出ました。これは、ダビデの町の入口の前の道の向かい側で、以前は駐車場だったということですが、現在は大規模な発掘が行われています。いろいろな時代のものが混在しているように見えますが、いずれ整備されて公開されるものと思われます。また、その時には再度来てみたいものです。

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上の写真は、神殿の丘の西壁のロビンソン・アーチのあったところです。中央に見える四角い檻のようなところが、巡礼の道の有料部分の出口なのだそうです。よく見ると、二人ほど出てくる様子が見えます。

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これは、イスラエル博物館にあったヘロデ時代の50分の1モデル。シロアムの池と巡礼の道がよく分かります。

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