Jesus Boat(イエスの舟)
訪問日:21 Feb 2013
この日の最後の訪問地、イーガル・アロン・センターに行きました。ここは1986年に発見された紀元一世紀頃(イエスの時代)の古代の漁師の舟が展示されている博物館です。
この建物は私達が泊まったNof Ginosar Kibbutz Hotelと同じ敷地にあります。
中に入ると、2000年前のイエス・キリストの時代に使われたと言われる木造の舟が展示してありました。大きさは、長さ8.2m、幅2.3m、高さ1.2mとのことです。
この舟は、キブツ・ギノサールで働いていた2人の兄弟によって発見されました。この2人は、古代の遺物に興味があり、時々ガリラヤ湖の岸辺を散策しては木の破片とか釘とかを見つけていて、いつか本物の舟を見つけたいと思っていたそうです。1986年1月、この前の年の旱魃で湖面が大変下がっていました。水のひいた泥の中に、何かが顔をだしているのに気づいた2人は興味しんしんで手で泥を掻き出してみると、舟の形が現われたので急いでヘブライ大学の考古学者に連絡したそうです。それは、完璧な形をした古代の舟だったので、大騒ぎになり、毎日学生や近所のボランティアが手伝いに来て注意深く掘り出したとのことです。
これらの壷、ランプの台、釘なども、その時一緒に発見されたものとして展示されています。
この舟が、どういうものだったのか、それは、神秘に包まれています。
”この舟は、イエス・キリストの時代にガリラヤ湖で起こった数々の出来事を見ていたのでしょうか? この舟は、あのナザレ人とその弟子たちが人々に福音を伝えるために、彼らを周りの村々に運んだ舟なのでしょうか? この舟は普通の漁師の舟ですが、紀元一世紀のローマ帝国に対するユダヤ人反乱の時には、戦いの舟として使われたものかもしれません。あるいは、毎日の漁のために湖の上を行ったり来たりした後、最後には沈められ岸辺に捨てられた、単なる漁師の舟だったのかも知れません。”
この舟が発見された場所は、ゲネサレとミグダルの中間地点でした。ゲネサレは、イエス・キリストの伝道活動の根拠地なので、「イエスの舟」の可能性があります。また、ミグダルは、あの「マグダラのマリア」の故郷ですが、紀元67年にはユダヤ人反乱の激戦地となり、戦いに使われた舟の可能性もあります。
上の図は、この船に使われた木材が10種類以上に渡ることを示しています。当時は、木材は貴重な材料であったから、ありとあらゆる木材を使って作られたという説と、この舟は何回も修理され、そのたびに異なる木材が使われたという説があるようです。
いずれの説にせよ、数十年から100年というかなり長い間使われた舟のようです。また、炭素14による年代測定の結果、BC40年±80年、土器の調査結果からはBC50年からAD50年の間に作られたと推定されるとのことで、イエス様が生きていた時代と合致します。
隣町のミグダルの遺跡の中から、上の写真にあるような、舟の絵が描かれたモザイクが見つかりました。また、舟の破片も見つかり、それらの構造を参考にすると、この舟には帆があり、また、一組のオールで漕ぐこともできる5人乗りの舟だったと推定されています。
舟の構造を示す映像も写されていました。
この舟の発掘時の様子が、何枚もの写真で展示されています。まず、注意深く泥が掻き出されましたが、2000年の間、ガリラヤ湖の泥沼の中に埋まっていたわけですから、乾いたところに出すとバラバラになってしまう危険があります。それで、崩れてしまいそうな本体をファイバーグラスと発砲ウレタンで繭状に包んで水に浮かべました。
岸辺には、舟がすっぽりと入る保護プールが用意され、舟は細心の注意のもとでゆっくりと吊り上げられて保護プールの中に入れられました。
保存のために、舟を合成蝋を含むPEG液に浸し、木を補強し、歪曲と腐敗を防止しました。 その後、湿度の高い部屋に入て湿度をだんだん下げていき、最後に立派な博物館を作って保管しました。失敗して壊れないように大変な神経の使いようで、展示されるまでに14年かかったとのことです。
発見から14年後の2000年2月に、舟は保存水槽からイガル・アロン・センターの新展示ホールに移されました。
イエス様とこの舟とを直接結びつける証拠は見つかっていませんが、同じ時間にガリラヤ湖に存在していたことは確かです。
この日は、「プリムの祭り」を数日後(2013年は2月24日)に控えていたため、仮装してお祝いする人々をあちこちで見ることが出来ました。博物館の中の売店のお兄さんもこんな顔で笑ってくれました。
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