Ramon Crater(ラモン・クレーター)

訪問日: 24-25 Feb 2013

この日は、アラッドから南西に下り40号線に合流してMitspe Ramon(ミツペ・ラモン)まで行ってホテルで一泊しました。当初の予定では、ベエル・シェバのホテルに泊まる予定だったのですが、数ヶ月前にガザ地区からのロケット弾攻撃があったので日本の外務省からガザ地区から40Km圏内は渡航を延期するようにとの勧告が出されたため、その圏内にあるベエル・シェバに行くことはやめて、圏外にあるミツペ・ラモンに泊まることになりました。そのため、ベエル・シェバ見学ができなくなったり、エルサレムに入る経路が遠回りになったりと、かなりの不便になりそうだったのですが、幸いなことに、直前になって外務省の勧告が解除されたので、ミツペ・ラモンに泊まってラモン・クレーターを見ることができ、更にベエル・シェバにも行けるという最高のスケジュールになりました。またまた神様に感謝です!

ミツペ・ラモンは、Ramon Craterと呼ばれる巨大なクレーターの北端にある町で、イスラエルのグランド・キャニオンとも言われる広大な渓谷を見下ろすことができるビジター・センターがあります。

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ラモン・クレーターは、ヘブライ語ではマクテシュ・ラモン(Makhtesh Ramon)と呼ばれますが、マクテシュはやはりクレーターという意味だそうです。クレーターということは、巨大隕石が落ちてきて開けた隕石孔、もしくは、火山の爆発による噴火口が想像されますが、ビジター・センターの解説によれば、古代に浅い海だったところが約一億年前に隆起し、砂地がむき出しになったところに川が流れて侵食して大きく険しい谷ができ、これが繰り返されてできたということです。大きさは、長さ40Km、幅9Kmもある巨大な窪みで、私は事前にGoogle Mapを見たとき、これは創世記にあるソドムとゴモラの滅亡した跡だと思いました。

創世記19:24-25には、 ” そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。” とあります。

天から降ってきた巨大な隕石による窪みということであれば、聖書の話と一致するのですが、どうやら、そのような証拠はないということです。下にGoogleマップによる航空写真を載せておきます。

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ビジターセンターから横方向に流して撮った4枚の写真を合成してパノラマ写真にしてみました。これは、Microsoft Image Composite Editorというフリーソフトで合成したものですが、簡単な操作でパノラマ写真ができるのに驚きました。再度行く機会があれば、このような写真をたくさん撮ってみたいですね。(クリックすると大きくなります。)

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クレータの中心部を通る水無し川が見えます。ワジとも呼ばれる水無し川は、雨が降ったときは水があふれますが、通常は乾いていて草木が生えており、水も出易いので古代は道路として使われました。ぺトラのナバテア人の商人たちは、ラクダにたくさんの香辛料などを積んでこの道を通り、地中海沿いのガザ地区まで運んでヨーロッパの商人たちに売りさばきました。ナバテア人というのは、本来、定住をしない民族だったのですが、しばらくすると他の民族と同化していって定住するようになり、民族としての継承はされなくなり、消滅していったということです。

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下の写真の左側に、クレーターの底に向かって下る曲がりくねった道路が見えます。これは、国道40号線ですが、私達は、ツアーグループと別れた後の3月5日にレンタカーでこの道を通り、標高差400mある急な坂道を下り、ネゲブ砂漠を通り抜けて90号線に合流し、エイラットに向かいました。

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ビジター・センターの隣の見晴らしのよいところに、きれいな家が並んでいました。これは、高級ホテルだそうです。

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私達ツアーメンバーは、ミツペ・ラモンの町の中にあるIsrotel Ramon Innというホテルに泊まりました。部屋の準備が出来てなくて、砂漠のベドウィンのイメージがかすかに漂うロビーで少し待たされましたが、広い部屋のある快適なホテルでした。

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