Yad Hashmona(ヤド・ハシュモナ)

訪問日: 25 Feb 2013

次の訪問地、ヤド・ハシュモナというところへ向かう途中に、Qiryat Ye’arim(キルヤテ・エアリム)という道標がありました。そうです。サムエル記や歴代史に出てくる「主の箱」(神の箱とか契約の箱とも言われ、神によって十戒が刻まれた石板が入っている)が20年間置かれていたところです。

”キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。” サムエル記第一7:1

ダビデとイスラエル人たちがこのあたりに登ってきて、アミナダブの家から「主の箱」を牛車にのせて引き出したと思うと、サムエル記や歴代史が身近に感じられます。

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ヤド・ハシュモナという施設はキルヤテ・エアリムのすぐ近くにあります。ここは、会議室やホールを持つコッテージ風のホテルです。裏にはBiblical Gardenと銘打つて古代の農家の一部が再現されており、イエス時代に使われた古代の道具が運び込まれて展示されています。

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ヤド・ハシュモナは、メシアニック・ジュー、すなわち、イエスを救い主と信ずるユダヤ人とクリスチャンのための施設です。下の写真のような、きれいなホールが幾つかあって、結婚式や各種催し物が行われます。センスの良い建築だなと思っていたら、この施設は、フィンランドのクリスチャンによって創設されたとのこと、なんとなく北欧風の感じがします。

しかし、訪問した時は、大きな問題が起こっていました。ある同性愛のカップルがここで結婚式を予約していたのですが、申し込みの後になって施設側がこれに気づき、断わったそうです。それがイスラエルの憲法に違反する(ヤド・ハシュモナは公共の施設としての認可を受けているため、人々を差別的に扱ってはいけないという規則を守る必要がある)ということで訴訟になっているそうです。キリスト者としては、同性愛は認められないし、困ったことになったとのことでした。

ちなみに、イスラエル、なかでもテルアビブ市は同性愛カップルに寛大なところで、毎年、同性愛者のパレードを大々的に行い、世界中から多くの同性愛者が来て気勢をあげているそうです。NHKのニュースで見ましたが、今年は2万5千人も集まって、なかにはユダヤ教徒にも同性愛者がいて権利を主張しているのには驚きました。ユダヤ教の聖職者は反対していますが、これは、テルアビブ市の観光戦略の一つだそうです。

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リナさんが、ヤド・ハシュモナの奇跡的な歴史を説明してくれました。要約しますと、

  1. フィンランドのセポさんという人がイスラエルに対して強い愛を持っており、イスラエルに来てキブツ(社会主義的協同組合)を造りたいというビジョンを持っていた。
  2. そこで、全財産を売り払い、妻と小さな3人の子供達を連れて、イスラエルにやってきた。
  3. そして、イスラエル政府に対し、クリスチャンであるセポさんが、神様から示されたため、キブツを造りたいので土地を提供してもらいたいと申し入れた。
  4. 政府はできないと回答した。フィンランドに帰りなさいとも言われたが、セポさんは、神様が来なさいと言ったので来たのです、と言って座り込んだ。
  5. 政府は、また明日来なさいと言ってセポさんを追い返したが、めげずに毎日役所に行って座り込んだ。
  6. それを、なんと、3年間も続けていたところ、時の首相であるゴルダ・メイヤ(イスラエル初の女性首相)の耳に入り、面会することになった。
  7. ゴルダ・メイヤ首相との公式会見において、セポは、ユダヤ人と異邦人が共に働けるキブツを造り、ホテルも造りたいと言ったところ、好きな場所を選びなさいと言われ、現在の場所を選んだ。
  8. そこは、当初はゴミの山だったが、フィンランドのボランティアだけで清掃し、1971年にYad Hashmonaが設立された。
  9. 1978年になって初めてユダヤ人グループも一緒に働くようになり、やっとセポさんの夢が実現した。メシアニック・ジューと異邦人クリスチャンが共に働く場所ができた。
  10. リナさん自身も、生後3週間の時に、両親と共にフィンランドから移住してきた。今は2人の子供の母である。今ではヤド・ハシュモナは、イスラエルにおけるメシアニック・ジューの重要なセンターになっている。
  11. Yad Hashmonaは、Yad Ha8とも書かれるように、Memorial for the Eight(8人の記憶)を意味している。1938年、オーストリアからフィンランドに逃げてきた8人のユダヤ人を、フィンランドの秘密警察はナチスドイツに引き渡してしまい、その8人はアウシュビッツに送られ、うち7人は死んでしまった。セポさんは、この8人のユダヤ人のことを悔やんで謝罪の気持ちを表わすためにイスラエルに来たのだった。
  12. 現在は、キブツ(共有財産制の共同体)からモシャブ(家族の集まった共同体)に変わり、会議室や宴会場を持つホテルを経営しており、2000年にはBiblical Gardenが造られ、古代の農業生活を見ることが出来るようになっている。

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私達は、Biblical Garden(聖書時代の庭)を見学しました。

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その入口に、8人のユダヤ人の名前が書いてあり、悔やんで泣き叫ぶ人の像がありました。これは、聖書の中にしばしば出てくるような、灰をかぶり衣を裂いて悲しみ泣き叫ぶ男の姿です。

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丘の上からは、山々がきれいに見渡せます。遠く西の方に見えるのはアヤロンの谷だそうです。

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Biblical Gardenに入っていくと、見張り塔がありました。

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石造りの囲いや建物は、新しく作られたものですが、古代の雰囲気が出ています。

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次に、これも聖書によく出てくる麦打ち場(Threshing Floor)に行きました。

”そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。・・・・・” (ダニエル書2:35)

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丘の上に丸い広場があり、ここに麦の実を置いて、その上に、下の写真のような木の台に子供が乗って動物に引かせ、麦の実から皮をはがすのだそうです。これらの古代の道具は、他の場所から持ってきたものですが、すべて本物とのことです。

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木の台の裏側には、麦の実と皮が良くはがれるように石のかけらが埋め込まれています。

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そのあと、鋤で上に持ち上げて、風でもみ殻をとばし、実だけ残るようにします。

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下の写真は、ぶどう絞りの道具です。ここにぶどうを置いて、素足で踏みつけて絞ります。種をつぶすと苦くなるので、つぶさないようにするためです。ナザレ村でも同じ説明がありました。

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絞ってでてきたぶどう液は、この穴から流れ出ます。

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そして、周りにある大きな穴の中に流れ込み、溜まった液は汲み取られます。

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これは、オリーブ絞りの道具。この丸い臼の下の溝にオリーブの実を置いて、臼をロバに引かせてつぶします。これが一番絞りのバージン・オイルで最高のものになり、聖所のあかりに使われます。

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一番絞りに使われたオリーブの実は、次にこのような麻袋に入れられ二番絞りになります。

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オリーブの実の入った麻袋は積み重ねられて石の重しの付いたてこでつぶされます。

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帰り際に、かわいい女の子たちが挨拶してくれました。結婚式に出席していたのでしょうか、白い服で着飾って、カメラを持っていました。

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大変素晴らしいところだったので、このグループツアーが終わった後に予定していた個人旅行で泊まりたいと思い、受付に行って値段を聞いてみました。今の時期は、Regular Season料金で、一室1名155ドル、一室2名172ドル、いずれも朝食付きです。予約はまた電話してくださいとのこと。ちょっと高いですが、イスラエルのクリスチャン生活も覗いてみたいと思い、後半の個人旅行の日程変更を検討してみました。しかし、ここに泊まるためには、すでに予約してあるEn Gedi Kibbutz Hotelをキャンセルしないといけないのですが、よく見ると14日前しかキャンセルできないとなっていました。(普通のホテルは殆ど2日前くらいにキャンセルできるのですが。) それで、経路変更ができなくなり、こちらに来るのをあきらめざるをえませんでした。自分の思いを押し通してはいけないということなのでしょう。また神のみこころに合う時が来れば、是非泊まってみたいと思います。

 

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