Banias, Caesarea Philipi (バニアス、ピリポ・カイザリア)

訪問日:21 Feb 2013

ベンタル山を下り、ドルーズ族の村を通り抜けて、ヘルモン山のふもとにあるバニアス自然保護区へ行きました。ここは、ヘルモン山の雪解け水が流れる豊かな泉と川に囲まれた美しい公園です。

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バニアスという名前は聖書には出てきません。歴史に登場するのは、アレキサンダー大王に征服されたBC332年頃からで、ギリシャ文化がもたらされ、泉があり肥沃なこの地にギリシャの神である『パンの神』(ギリシャ神話にでてくるヤギの神)が祭られるようになり、この地はPaneasと名付けられました。その後征服したローマは、紀元前一世紀にこの地をヘロデ大王に与えたため、ヘロデ大王はこの泉の近くに神殿を建て、ローマ皇帝アウグストに献上しました。ヘロデ大王の死後、彼の王国は3人の息子に分け与えられましたが、ガリラヤの北東部はヘロデ・ピリポが統治し、彼はPaneasをBC2年に首都とし、ローマ皇帝に敬意を表してCaesarea Philipiと名付けました。さらに、歴史家ヨセフスの記録には、ピリポの息子のヘロデ・アグリッパ2世は多くの彫刻で飾られた豪華な宮殿を建設したとあります。その後、イスラム勢力に亡ぼされた後、10世紀頃、移住してきたイスラム教徒がPaneasをアラブ語の発音でBaniasと名付け、今日の呼び名になりました。(Banias Nature Reserveのパンフレットより)

今回訪問したバニアス自然保護区の案内図です。

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この図で訪問したのは、

1.駐車場 → 2.バニアスの泉 → 3.パン神の洞穴とパン神の神殿 → 5.ヘロデ大王時代の遺跡 → 6.ローマ時代の橋 → 7.水力発電所 →21-24. アグリッパ2世の宮殿 → 25.シナゴーグ → 26.カルド → 16.Corner Tower(塔) → 17.ヘロデ・ピリポの時代、および、ビザンチン時代の遺跡(発掘中) → 1.駐車場へ戻る

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泉の向こう側にパン神を祭った洞窟が見えます。

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近づくと、かなり大きな洞窟で、崖の上には放牧された牛が見えます。

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当時の様子を表わす看板です。一番左側の大きな洞窟の前に、ヘロデ大王がローマ皇帝アウグストに献上した神殿がありました。これは、BC16年に建てられました。

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これが、その神殿の左側の壁面跡とのことです。

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パンとニンフ(少女の妖精)の宮の跡

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パンとニンフ(少女の妖精)の宮の跡の床面

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ゼウスの神殿跡にあるコリント式の柱頭。ゼウスとは、ギリシャ神話に出てくる神々の王です。この神殿は、ヘロデ大王の建てた最初の神殿建設の100周年を記念して、ローマ皇帝トラヤヌスの時代に建てられたとのことです。(BibleWalks.comによる

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ここピリポ・カイザリアは、新約聖書マタイ16:13-20およびマルコ8:27-30に出てきます。

”16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。”

ペテロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えると、イエスは、

”「16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

と言われました。明石牧師は、このところから、信仰告白の重要性と教会の権威、真理の神についてお話されました。

また、マルコ5:25-34およびルカ 8:43-50にでてくる「長血をわずらっている女」をイエス様が癒されたのもここなのだそうです。

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きれいな床面の遺跡がありましたが、ヘロデ大王の宮殿の床だそうです。

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目立たないところに少し残っていた古い壁の遺跡について、恭仁子さんの説明がありました。

「この壁に網目のような飾りがありますが、これはオプス・ラテゥクルトゥムと呼ばれ、当時のローマで大変流行ったもので、皇帝アウグストがよく使ったものですが、イスラエルではヘロデ王家のみが使いました。それで、この宮殿はヘロデ大王が作ったものだと分かります。」

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この季節はアーモンドが花盛りです。写真の中央に実が見えますが、アーモンドがこのようにできるとは、はじめて知りました。

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バニアスに流れる川には、ヘルモン山の雪解け水が大変勢いよく流れています。水は非常に澄んでいてきれいです。

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勢いよく流れる水の力を利用した小さな水力発電所がありました。今は使われていないようです。日本では、自然エネルギーを利用した小水力発電が見直されていますが、発電機を最新のものに置き換えて再活用するのも良いのではないでしょうか。

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水辺を散策するのはさわやかです。

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いよいよアグリッパ2世の宮殿に入ります。

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入り口には、半円筒状の2つの塔が建っていましたが、今は土台の部分だけが残っています。写真の中央に地下水路の跡が見えます。

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向かって左側の塔の土台部分です。

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見学通路は、入り口から入って地下水路の跡を通っていきます。当時のイスラエルでは水は大変貴重なもので、泉の水を宮殿に引き込むのは大変な贅沢とされました。

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アーチ状の天井がきれいに作られていて。

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ずっと奥まで続いています。

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地下水路から階段を上って地上面に出ます。

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これは、アグリッパ2世の宮殿の中にある広間のようです。

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この宮殿は行政の役所としても使われ、当時のイスラエルでは最大級のもので、ヨセフスの記録では、「アグリッパ2世はピリピ・カイザリアの町を以前のものより更に大きなものにし、ローマ皇帝ネロに敬意を表してネロニアと名付けた。」とあるそうです。(Biblewalks.com

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アグリッパ2世の宮殿内部です。ここにも半円筒上の塔の土台が見えます。正面上に見える屋根がアーチ状の洞穴は全部で8個あって、当時の倉庫だったとのことです。

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宮殿の内部です。統治していた長官の部屋でしょうか。

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石造りの宮殿は、2000年前のものでありながら、きれいに残っています。後方にある長方形の建物はシナゴーグとのこと。

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かなり大きな宮殿です。

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8個ある倉庫にはアーチ状の屋根がつけられ、保存状態も良いようです。

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内部に2つの柱があり、長方形の壁に囲まれた建物は、当時のシナゴーグです。

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シナゴーグの入り口。

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シナゴーグの内部。

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ローマ様式の町によく見られるカルド。町を南北に横切る両側に柱が並んだ道路です。

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発掘中の部分を抜けた北側の角に石造りの建物が見えてきました。

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シリアの塔だそうですが、石の形や色が下から上にいくに従って違ったものでできています。

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この説明にあるように、下から上に行くに従って、それぞれ、ローマ・ビザンチン時代(3-6世紀)、十字軍時代(12世紀)、アイユーブ朝時代(13世紀)、オスマントルコ時代(19世紀)、近代シリア時代、に積み上げられたものだそうです。

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駐車場に戻る途中にも発掘中のエリアがありました。これは、ビザンチン教会があったところとのこと。

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ここからヘルモン山の方向にニムロデの要塞が見えます。これは、十字軍の要塞に似た形をしていますが実際は十字軍ではなく、マムルク王朝が建てました。マムルク王朝は1291年に十字軍を撃退し、イスラエルから追い出しましたが、再び十字軍が戻ってくるのを恐れ、そのときに迎え撃つための要塞を建築しました。しかし、建築様式は十字軍のものを取り入れたためにこのような形になったということです。ニムロデというのは旧約聖書にでてくる英雄の名前から取ったもので、イスラエル人がこう呼んでいるとのことです。(恭仁子さんの説明より)