Valley of Elah(エラの谷)

訪問日:25 Feb 2013

ラキシュからまたバスに乗り、エラの谷へ向かいました。ここは、少年ダビデが、石投げ器によってペリシテ人の巨人ゴリアテを打ち倒し、イスラエルを救ったという有名なお話の舞台となったところです。ここは、ガザ地区にも近く、ガザからのロケット攻撃が激しくなったら行けなくなるかも知れないと思っていましたが、この時は攻撃も収まっており、平常どおりの様子でした。エラの谷では是非石ころを拾ってお土産として持ち帰りたいと思っていたところです。バスは国道35号線を北に向かい、右側に草原の広がる道端に停車しました。周りには看板らしきものはありません。

道路標識には、「ベテ・シェメシュまで11Km、エルサレムまで39Km」と書いてあります。いよいよエルサレムに近づいてきました。

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道路の反対側(南行き)の茶色い看板には「Machpela Cave(Patriarchs Tomb)」とありました。すなわち「マクペラのほら穴(族長たちの墓)」となります。確か、「マクペラのほら穴」はヘブロンにあるシナゴーグおよびモスクの地下にあって、アブラハム、サラ、イサク、リベカ、ヤコブ、レアが葬られているということですが、ここからは10Km以上も離れており、しかも、パレスチナ自治区内にあるので、簡単には行けないと思うのですが、この道を左に曲がってず~っと行くとヘブロンに着くということなのでしょうか?

また、緑の道路標識には「Qiryat Gat」とあります。Gatという名前に興味を惹かれて調べてみると、やはり、Qiriyat Gatという町の近く(そこから北東13km、エラの谷からは西に10数kmのところ)で古代のガテと思われるテル遺跡(Tel es-Safi)が発見されたそうです。ガテという町は、紀元前12世紀から10世紀頃にペリシテ人が作った5大都市のひとつで、巨人ゴリアテの出身地でもあります。

聖書に出てくる地名があちこちに現われるので、聖書を旅していると言う実感が湧いてきます。

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私達は、そこでバスを降りて、エラの谷を歩きました。

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エラの谷と言っても、険しい谷があるわけではなく、離れた二つの丘の間の幅広い平地で、水無し川(Elah Stream)が通っているので谷という名前がつけられたようです。私達は、平地の向こうにある小高い丘に向かって歩いていきました。ここが、サウル王の時代(BC1010年頃)にイスラエル人とペリシテ人が戦った戦場です。

サムエル記第一17:2-3 ” サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。 ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に、谷を隔てて相対した。”

正面右手に見える丘が、サウルとイスラエル人が陣を敷いたところです。

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下の写真の丘にイスラエル軍が陣を敷きました。その手前には、水無し川があり、石ころがたくさん転がっています。

戦いの最中に、ペリシテ人の巨人ゴリアテが登場しました。以下は、サムエル記第一17章からの抜粋です。

” ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半(約3メートル)。頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。”(17:4-5)

大きな巨人で、しかも重武装しています。そして、大声で叫び、イスラエル人たちを挑発しました。

” 「ひとりを選んで、おれのところによこせ。おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」”(17:8-9)

まだ少年だったダビデは戦場にいる兄達に弁当を届けに来ていましたが、これを聞いて憤慨しました。

”ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」”(17:32)

”このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」 ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」”(17:36-37)

兄弟達もサウル王も、それは無理だと言って止めましたが、ダビデは聞かず、よろいもかぶともつけずにゴリアテに向かっていきました。

”自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた。”(17:40)

ゴリアテは、少年ダビデを見て馬鹿にしてあざ笑いましたが、

”ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。・・・」”(17:45)

そして、

”ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。こうしてダビデは、石投げと一つの石で、このペリシテ人に勝った。ダビデの手には、一振りの剣もなかったが、このペリシテ人を打ち殺してしまった。”(17:49-50)

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私達は、念願の、ダビデが使ったと思われるような形の、それもあまり重くない石を拾い始めました。

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そこで、明石牧師のメッセージがありました。「ダビデとゴリアテの戦いは、霊の戦いの原型、すなわち、神の力と人間の武力との戦いであり、主の御名の力の強さを示すものである。祈りによって主により頼むことの重要さを覚えましょう。」

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次の写真はイスラエル側の丘の全景です。

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次のパノラマ写真は反対側のペリシテ人側の丘(ずーっと向こうの緑の林あたり)を見たところです。

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二つの丘の間の「エラの谷」、ここで、ダビデとゴリアテが戦いました。ちょっと不思議に感じたのは、何も看板がないこと。また、駐車場もなく、観光客も少なく、イスラエル人はいないようです。日本の関が原などでは、たくさん看板があって、だれそれの武将が討ち死にしたところとかに墓標が建っていたりしますが、そのようなものは全くなく、ガイドさんがいなければ個人旅行で見つけるのはなかなか難しそうです。イスラエルの人々は、ダビデとゴリアテの戦いには関心がないのでしょうか?

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