Model of the Tabernacle at Timna(ティムナの幕屋モデル)

訪問日: Mar 6, 2013 and Feb 19, 2016

2013年のこの日は、イスラエル南部の砂漠の中のティムナというところに作られた幕屋の模型を見に行きました。早いもので、訪問した日から3年が経ち、ロゴスミニストリーの2回目のイスラエル旅行に参加した2016年2月もここを訪問しましたので、その時の様子も加味してみました。

2013年は、アブダットから国道40号線を南下してエイラットに向かいました。ミツぺ・ラモンからラモン・クレーターの底へ急降下し、険しい山々の間を抜ける道に入ります。40号線はベエル・シェバとエイラットを結ぶ幹線なのですが、車はあまり走っておらず、民家も殆どなく寂しい雰囲気です。ネゲブ山地にはイスラエル軍の秘密基地があると聞いたことがあるので緊張して運転しました。途中、トンボのようなものが2~3匹、フロントガラスにぶつかってきました。数日前にエジプト方面からイナゴの大群が押し寄せているとのニュースがあったので、ひょっとするとイナゴだったのでしょうか。3500年前にエジプトからイスラエルの民を率いて荒野を旅したモーゼもイナゴの大群に襲われたかもしれません。

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40号線をどんどん南下して90号線に合流し、しばらく行くとティムナ・ジャンクションがあり、そこを西に曲がるとティムナ国立公園に到着します。

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このあたりの土の色は赤茶けていますが、これは銅を含んでいるためです。鉱山としては世界最古のもので、6000年以上前から銅が採掘されていて、BC14世紀からBC12世紀頃にはエジプト人による大規模な採掘が営まれていたそうです。そのせいなのか、お土産屋にはエジプト風の銅細工がたくさん並んでいました。ソロモン王がここで銅を採掘していたという言い伝えもありますが、実際にはその事実はないそうです。

下の写真がソロモンの銅山といわれる岩。

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この辺りでは、奇妙な形に風食された岩がたくさんあり、主なものには名前が付けられています。下の岩は、渦巻き状の坂があるので”Spiral Hill”(渦巻き丘)と名付けられています。

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下の岩は、”The Mushroom”と名付けられました。その名の通り、「マッシュルーム」の形をしています。

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ティムナ・パークでのハイライトは、何と言っても、モーゼの幕屋を実物大で再現した「幕屋モデル」です。下の絵は、モーゼがエジプトで奴隷だったイスラエルの人々を連れ出して40年間荒野を旅した時に設営した神の幕屋の想像図ですが、聖書に書かれたのと同じ寸法で再現したものが、ここに作られています。

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モーゼの幕屋については、旧約聖書の「出エジプト記」に詳しく書かれています。モーゼがシナイ山で「十戒」の書かれた石板を神から授けられた時に、神がモーゼに命じて作らせたものです。

“わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。  わたしが示す作り方に正しく従って、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい。” (出エジプト記 25:8-9【新共同訳】)

モーゼは主が命じられたとおりに幕屋を作り上げました。

”モーセはイスラエルの人々の共同体全体に告げた。「これは主が命じられた言葉である。 ・・・・・・
また、あなたたちのうちの、心に知恵のある者をすべて集めて、主が命じられた物をことごとく作らせなさい。すなわち、幕屋、天幕、覆い、留め金、壁板、横木、柱、台座、掟の箱とそれを担ぐ棒、贖いの座、至聖所の垂れ幕、机とそれを担ぐ棒、そのすべての祭具、供えのパン、燭台とその祭具、ともし火皿、灯油、香をたく祭壇とそれを担ぐ棒、聖別の油、香草の香、幕屋の入り口に掛ける幕、焼き尽くす献げ物の祭壇とそれに付く青銅の格子、それを担ぐ棒、およびそのすべての祭具、洗盤と台、庭の幔幕とその柱と台座、庭の入り口の幕、幕屋の杭と庭の杭、およびその綱、聖所で仕えるための衣服、祭司アロンのための祭服、その子らが祭司として仕えるための衣服がそれである。」(出エジプト記35:4-19)

ティムナの幕屋モデルでは、これらのすべてが実寸模型で再現されています。

宿営にあたっては、この幕屋を囲んで、イスラエルの12部族が下の図のように配置されました。レビの子孫であるメラリ族、ゲルション族、ケハト族が幕屋の管理を行い、大祭司アロンとその子らである祭司たちは幕屋で神に仕えました。

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イスラエルの民は、40年の間、目的もなく荒野をさ迷ったのではありません。彼らは神に導かれて進んで行きました。

” 雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。”(出エジプト記40:34-38)

幕屋の移動にあたっては、下図のような隊列を組み、レビの子孫のケハト族、ゲルション族、メラリ族が幕屋を分解して運びました。

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2013年の訪問時は、幕屋の入り口付近にある小さな小屋に女性のガイドさんが住んでいて、ここで料金を払って幕屋の中に入りました。説明は、まずこのアカシアの木から始まりました。幕屋に使われている木はすべてアカシア材で、中東の荒野に育つアカシアの木は、根の広がりが木の大きさの25倍にも達し、暴風にも強く、乾燥地帯でも生き延び、ゆっくり成長するので木は大変硬く、腐ったり虫に食われたりしないそうです。(ちなみに、日本のアカシアはニセアカシアと言われるものでこれとは別物です。)

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ガイドさんは、私たちにクリスチャンかユダヤ教徒かと聞きました。それぞれにふさわしい説明をするためです。私たちはもちろんクリスチャンと答えましたの で、幕屋がイエス・キリストを預言しているという素晴らしい説明が加えられました。ガイドさんに、あなたはクリスチャンですか?と聞いてみたら、「私はBelieverです。」と答えられました。

その時は説明の内容がよく分かりませんでしたが、後に、このガイドさんが作成してい る”Berean to Berean”というサイトを見たり、2016年のツアーの直前にYouTubeで見つけたスティーブンス栄子さんの説明を聞いて、幕屋に隠された神の人類救済計画を理解し感動しました。以下の説明はそれらの内容を参考にしています。

幕屋の配置は下図のようになっていました。(「バイブルワールド(地図でめぐる聖書)」ニック・ペイジ著より)

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幕屋がある庭は縦100キュビト、横50キュビト(1キュビトは約50cm)の長方形です。入り口は正面に一つだけあります。これは、新しい命の世界への入り口を表しています。

” イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。”(ヨハネ14:6)

入り口の幕をくぐって中に入るとまず見えるのは、焼き尽くす献げ物の祭壇で、それを担ぐ棒、およびその祭具も備えられています。

” あなたはまたアカシヤ材で祭壇を造らなければならない。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角で、高さは三キュビトである。その四すみの上にその一部としてそれの角を造り、青銅で祭壇をおおわなければならない。”(出エジプト記27:1-2)

祭壇は高くなっていて、長いスカートをはいた祭司は犠牲を捧げるために階段ではなくスロープ状のところを歩いて上って行きます。これは、” あなたは階段で、わたしの祭壇に上ってはならない。あなたの裸が、その上にあらわれてはならないからである。” (出エジプト 20:26)とあるからです。

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この祭壇は、牛やひつじなどの献げ物を焼き尽くすための祭壇で、その中には青銅の格子がつけられています。祭司は毎朝毎夕、休むことなく生贄を焼き尽くし、その流された血を集めて4つの角につけ、また、祭壇の土台に注ぎました。祭司がこの贖いをすることにより、献げた者の罪が赦されたのですが、これは一時的なもので、罪を犯すたびに再度生贄を献げて焼き尽くさなければいけませんでした。

イエス・キリストは、すべての人の罪を贖うために、生贄の子羊として高台の十字架上で死なれましたが、最後の時に「完了した」と言われました。これは、ヘブライ語では、「完全に支払われた」という意味を持っていて、イエスを信じて罪を悔い改めるものは、すべての罪が贖われて完全に赦されることを表しています。この祭壇は、イエス・キリストの贖いを表しているのです。

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この大きな祭壇は担げるようになっています。

”祭壇のために、棒を、アカシヤ材の棒を作り、それらに青銅をかぶせる。それらの棒は環に通されなければならない。祭壇がかつがれるとき、棒は祭壇の両側にある。”(出エジプト27:6-7)

祭壇の両側に丸い環があり、棒を通して担いでどこにでも運べるように作られています。これは、イエス様の贖いの祝福が世界中のどこにでも、イエス様を信じる人がいるところへ運ばれていくことの象徴なのだそうです。

そのすぐ奥に銅の洗盤と台があります。

” 「あなたはまた洗うために洗盤と、その台を青銅で造り、それを会見の幕屋と祭壇との間に置いて、その中に水を入れ、アロンとその子たちは、それで手と足とを洗わなければならない。”(出エジプト記 30:18-19)

青銅で造りなさいとあります。当時は青銅の板をピカピカに磨いた鏡を使っていましたが、それらの青銅の鏡を材料にしてこの洗盤を造りました。また、水は、毎日きれいな泉や清流からレビ人が汲んできて満たしていたそうです。祭司を清めるための完全な聖い洗盤だったのです。

聖餐式を受ける前の御言葉、”ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。”(第一コリント11:28-29) と同様のきよめです。

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そしてその奥に大きな幕屋があります。

幕屋は、48枚のアカシアの大きな板で作られています。

” 幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。板一枚の長さは十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。板一枚ごとに、はめ込みのほぞ二つを作る。幕屋の板全部にこのようにしなければならない。幕屋のために板を作る。南側に板二十枚。”(出エジプト記26:15-18)
そして、この建物に大きな幕が掛けられています。

”あなたはまた十枚の幕をもって幕屋を造らなければならない。すなわち亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出さなければならない。幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビトで、幕は皆同じ寸法でなければならない。その幕五枚を互に連ね合わせ、また他の五枚の幕をも互に連ね合わせなければならない。”(出エジプト記 26:1-3)

聖書には書かれていませんが、一般的に、紫は王、青は天国、赤は血、白は純潔、を表すものと考えられています。これらは、すなわち救い主の色、つまり、「王は天からこられ、私たちを純粋にするために血を流された。」ととらえることができ、これら5層の幕はキリストを表すと考えられます。

また、幕屋、つまり、会見の天幕の入り口には5本の大きな柱が建っています。

”その幕のためにアカシヤ材の柱五本を作り、これに金をかぶせる。それの鉤も金で、また、それらの柱のために青銅の台座五つを鋳造する。”(出エジプト記26:37 )

 

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幕屋の中には手前に聖所があり、祭司と大祭司だけが入ることができました。聖所の大きさは、幅10キュビト、奥行き20キュビト、高さ10キュビトで、右側に「供えのパンの机」、左側に「燭台」、中央奥に「香をたく祭壇」があります。

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ここの模型では2つの人形が置かれていました。手前の白い服と4色の帯をつけた人形は祭司です。足にはなにもはいていません。祭司にはアロンの子孫しかなれませんでした。

” 亜麻布で市松模様の長服を作り、亜麻布でかぶり物を作る。飾り帯は刺繍して作らなければならない。あなたはアロンの子らのために長服を作り、また彼らのために飾り帯を作り、彼らのために、栄光と美を表すターバンを作らなければならない。これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。”(出エジプト28:39-41)

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聖所の右側には供えのパンと机が置かれます。

” 机をアカシヤ材で作らなければならない。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半。これを純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作り、その回りに手幅のわくを作り、そのわくの回りに金の飾り縁を作る。その机のために金の環を四個作り、その四隅の四本の足のところにその環を取りつける。環はわくのわきにつけ、机をかつぐ棒を入れる所としなければならない。棒をアカシヤ材で作り、これに金をかぶせ、それをもって机をかつぐ。 注ぎのささげ物を注ぐための皿やひしゃく、びんや水差しを作る。これらは純金で作らなければならない。 机の上には供えのパンを置き、絶えずわたしの前にあるようにする。” (出エジプト25:23-30)

 

机には12部族を表す種無しパン12枚が供えられ、毎週の安息日に祭司が食べた後新しいパンが置かれます。これは、神の御顔の前に置かれるパンであり、神様は食の必要をいつも満たしてくださることを意味しています。

イエス・キリストのもとにいる私たちは飢え渇くことはありません。

”わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネ6:35)

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左側には7つの枝を持つ燭台(メノラー)が置かれています。

”また彼は、純金で燭台を作った。その燭台は、槌で打って作り、その台座と、支柱と、がくと、節と、花弁とで一個の燭台とした。 六つの枝をそのわきから、すなわち、燭台の三つの枝を一方のわきから、燭台の他の三つの枝を他のわきから出した。一方の一つの枝に、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくを、また、他方の一つの枝にも、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくをつけた。こうして燭台から出る六つの枝をみな、そのようにした。燭台の支柱には、アーモンドの花の形をした節と花弁のある四つのがくをつけた。それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていた。それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作った。”(出エジプト 37:17-22)

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このメノラーは純金で槌で打って作られました。この灯は永遠に輝き続けなければならないので、祭司たちは夜も昼も注意して灯火の芯を刈りそろえたり油を絶やさないようにしました。

イエス・キリストも私たちの罪の贖いのために打たれました。純金は聖霊を表しています。7は完全数であり、神様のご臨在であるシャカイナグローリーの象徴です。

また、メノラーの枝にはアーモンドの花びらが彫刻されていました。アーモンドは寒さの厳しい1月から2月にかけて、枯れた状態から芽をだし花を咲かせます。死んだ者の中から初穂として復活する姿を表しているので、リーダーシップの象徴と言われています。

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聖所の奥には聖所と至聖所を隔てる垂れ幕があり、そのすぐ手前に「香をたく祭壇」が置かれています。

”あなたは、香をたくために壇を作る。それは、アカシヤ材で作らなければならない。長さ一キュビト、幅一キュビトの四角形で、その高さは二キュビトでなければならない。その一部として角をつける。それに、上面と回りの側面と角を純金でかぶせる。その回りに、金の飾り縁を作る。また、その壇のために、その飾り縁の下に、二つの金環を作らなければならない。相対する両側に作らなければならない。これらは、壇をかつぐ棒を通す所となる。その棒はアカシヤ材で作り、それに金をかぶせる。”(出エジプト30:1-5)

香をたく祭壇は正方形で、四隅に角が付けられています。これは、この祭壇でたかれる香には、大いなる権力があることを示しています。大祭司アロンは、毎日、朝と夕に香をたき、神様との個人的交流を持っていました。香は祈りの象徴であり、幕屋の香檀は、神と人との仲介者であるイエス様を表しています。

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聖所と至聖所の間には厚くて重い垂れ幕が掛けられています。

”青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。 これを、四つの銀の台座の上に据えられ、その鉤が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につける。 その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。”(出エジプト26:31-33)

この垂れ幕に、ケルビムを巧みに織り出さなければならないと書かれています。それは、アダムとエバが罪をおかしてエデンの園から追い出されたとき、神様のご臨在される命の木があったエデンの園と罪の世界であるこの世とを仕切ったのがケルビムだったからです。
”こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。”(創世記 3:24)

また、垂れ幕は、人となられたイエス様の肉体を象徴しています。鞭打たれ、手足を釘づけにされて十字架に付けられ、槍で刺され、むごい仕打ちを受けたイエス様が息を引き取られるとき、神殿の厚い垂れ幕が上から下まで裂かれました。

”イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。”(ヘブル 10:20)

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至聖所に入ることができるのは大祭司アロンだけ、しかも年に一回、ヨム・キプールと呼ばれる大贖罪日だけでした。

ヨム・キプールについては、こう書かれています。

”...第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も、どんな仕事もしてはならない。なぜなら、この日に、あなたがたをきよめるために、あなたがたの贖いがなされるからである。あなたがたは、【主】の前でそのすべての罪からきよめられるのである。これがあなたがたの全き休みの安息であり、あなたがたは身を戒める。これは永遠のおきてである。油をそそがれ、その父に代わって祭司として仕えるために任命された祭司が、贖いをする。彼は亜麻布の装束、すなわち聖なる装束を着ける。”(レビ記16:29-32)

また、大祭司の服装については、こう書かれています。

(出エジプト28:2-38)

” また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。・・・・・・・彼らが作らなければならない装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らに、わたしのために祭司の務めをさせるため、この聖なる装束を作らなければならない。・・・・・・・
・・・・・(エポデと青服については、次の写真のところで記します。)・・・・・・
・・・・・ また、純金の札を作り、その上に印を彫るように、『【主】への聖なるもの』と彫り、 これを青ひもにつけ、それをかぶり物につける。それはかぶり物の前面に来るようにしなければならない。これがアロンの額の上にあるなら、アロンは、イスラエル人の聖別する聖なる物、すなわち、彼らのすべての聖なるささげ物に関しての咎を負う。これは、それらの物が【主】の前に受け入れられるために、絶えずアロンの額の上になければならない。”

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エポデと肩当てについては次のように書かれています。

”金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、巧みなわざでエポデを作らせる。
・  二つのしまめのうを取ったなら、その上にイスラエルの子らの名を刻む。 その六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。... その二つの石をイスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。
・ あなたはさばきの胸当てを、巧みな細工で作る。それをエポデの細工と同じように作らなければならない。すなわち、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作らなければならない。
・ その中に、宝石をはめ込み、宝石を四列にする。すなわち、第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。第二列はトルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド。 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶、第四列は緑柱石、しまめのう、碧玉。
・ この宝石はイスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。十二部族のために、その印の彫り物が一つの名につき一つずつ、なければならない。
・ アロンが聖所に入るときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず【主】の前で記念としなければならない。
・ さばきの胸当てには、ウリムとトンミムを入れ、アロンが【主】の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。”

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青服については、次のように書かれています。

”・ エポデの下に着る青服を、青色の撚り糸だけで作る。
・ そのすそに、青色、紫色、緋色の撚り糸で、ざくろを作り、そのすその回りにこれをつけ、その回りのざくろの間に金の鈴をつける。すなわち、青服のすそ の回りに金の鈴、ざくろ、金の鈴、ざくろ、となるようにする。アロンはこれを務めを行うために着る。彼が聖所に入り、【主】の前に出るとき、またそこを去 るとき、その音が聞こえるようにする。彼が死なないためである。”

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スティーブンス栄子さんの説明では、大祭司は足にひもをつけ、鈴を鳴らしながら至聖所に入って行きます。もし、大祭司が何かの罪を犯して打たれて死んでしまったら、鈴の音がしなくなるので分かります。しかし、誰も中に入れませんから聖所にいる祭司たちがひもを引っ張って遺体を引き寄せるわけです。私も、この説が一般的だと思っていました。

しかし、この幕屋のガイドさんによれば、この説は伝承であって正しくないとのこと。その根拠は、レビ記16章とのことです。

” 油をそそがれ、その父に代わって祭司として仕えるために任命された祭司が、贖いをする。彼は亜麻布の装束、すなわち聖なる装束を着ける。”(レビ記16:32)

これは大祭司が白い服だけで、青服をつけていないことを意味しており、もし罪を犯して打たれる場合は、アロンの子ナダブとアビフのように、聖所の入り口で打たれるはずだとのことでした。

そして、いよいよ至聖所(神様の御座がある神殿のひな型)に入り、あの「契約の箱」を見ます。ガイドさんは、「これは模型だから大丈夫、死にませんよ。」と言って微笑みました。聖書には次のように書かれています。

”アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。これに純金をかぶせる。それは、その内側と外側とにかぶせなければならない。その回りには金の飾り縁を作る。箱のために、四つの金の環を鋳造し、それをその四隅の基部に取りつける。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取りつける。アカシヤ材で棒を作り、それを金でかぶせる。その棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す。” (出エジプト25:10-14)

契約の箱もパンの机や香檀と同じく、アカシア材と純金で作られ、イエス様の神性と人性の両方を表しています。また、世界中どこにでも持ち運ぶことができるようになっており、イエス様の贖いが全世界で受けられることを暗示しています。

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贖いの蓋とケルビムについては、次のように書かれています。

”また、純金の『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。” (出エジプト 25:17-20)

贖いのふたにはアカシアの木は使われず、純金で作られています。つまり、神様ご自身を表しています。この贖いのふたのところに神様のご臨在があり、ケルビムの羽根がそこをおおっています。ケルビムの間に神様のある場面は聖書のあちこちに見られます。

例えば、イザヤ 37:16 ”「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の【主】よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。”

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契約の箱の中には何が入っているのでしょうか?

”その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。” (出エジプト25:21-22)

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上の御言葉の中にある「さとし」とは「十戒の刻まれた二枚の石板」のことです。

以下、スティーブンス栄子さんの説明を引用させて頂きます。

契約の箱には、「十戒の石板」、「天から降ってきたマナ」、「芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実をつけたアロンの杖」、の三つの物が入っていました。

十戒とは罪を表すもの。イエス様の十字架の贖いがなされるまで、何が罪なのかをはっきり示すために与えられたものです。

「マナ」は荒野の旅で毎日天から降ってきたパンのようなもので、大きな恵みだったのですが、イスラエルの民は、「これは何?」という意味を持つ「マナ」という名前を付けました。つまり、彼らが霊的に無知であったことを示します。

アロンの杖は、イスラエルの全会衆が、民を率いていたモーゼとアロンに反逆して争いを起こした時、1万7千人が主に打たれて死にました。その後、神様はすべての族長から各一本づつ杖を持ってこさせましたが、翌日、アロンの杖だけが「芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んだ」ので、アロンがリーダーであることがはっきりしました。つまり、人間の勢力争いを表しています。

契約の箱の中には、私たち人間の罪、神様と霊界に対する無知、そして人間の勢力争いを表す3つの物が入っていたのです。その箱の上に、金で作られた贖いのふたが置かれました。この贖いのふたのことをヘブライ語で「カッポーレ」と言い、贖うという意味で、人間の恥ずかしい罪を覆ってくださることを表しているとのことです。このカッポーレの上で、ケルビムは神様のご臨在される場所を向いて、へりくだって頭を下げています。

この贖いのふたこそ、イエスキリストの十字架の血潮を表しているということです。イエス様を信じる者は十字架の血潮で清められ、神様と個人的交流ができるようになりました。なぜなら、贖いのふたはあるのですが、人間の恥ずかしい罪を表す契約の箱の中身はもはや無いものとされたからです。{「荒野の幕屋の中に見るイエス様」(スティーブンス・栄子著)より}

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イエス・キリストがカルバリの丘の十字架上で死なれたとき、神殿の幕が真っ二つに裂けました。

”すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。”(マタイ 27:51)

ユダヤ人は、親しい家族の死の時に衣を裂いて深い悲しみを表します。同じように、わが子が人間の罪のために血を流され、その霊を神にゆだねて死なれた時の、父なる神の深い悲しみを見ることができます。

”こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。(へブル10:19-22)

こういうわけで、私たちはイエス様の流された血をとおして、イエス様の体をとおして、父なる神のもとへ行くことができるのです。

(以上、幕屋のガイドさんによるサイト、Berean to Bereanより)

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2016年2月のロゴス・ミニストリーのツアーで再度この地を訪問することができました。幕屋模型は3年前に見たものと同じでしたが、前回の女性のガイドさんはいなくて、数学の先生をしていたという男のガイドさんが説明してくれました。

この幕屋のホームページであるBerean to Bereanというサイトを見ると、昨年の10月に洪水に襲われて浸水し、幕屋に被害がでる映像がのっていました。その後、多くのボランティアにも助けられて復元したそうです。幕屋の維持管理も大変なようです。

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ティムナを出ると、その東側にヨルダン側にあるエドムの山々がそびえていました。モーゼの一行も主に導かれつつこの山々を見ながら旅したものと思われます。

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(参考にしたサイト&書籍)