Tabgha(タブハ)

訪問日:22 Feb 2013

本日最後の訪問地はタブハ(Tabgha)。地名の由来は、ギリシャ語で7つの泉を意味する”HEPTAPEGON”がアラビア語なまりでタブハとなったとのこと。実際に幾つか鉱泉があって温水が湧き出しているそうです。

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タブハは山上の垂訓の丘から、広くゆるやかな斜面を下ったガリラヤ湖の岸辺にあります。ここは、ルカ9:10-17に書かれているように、イエス様の話を聞き終わり、人里離れたところで夕暮れになってお腹を空かせた人々(男だけで5000人、女子供も入れるとその倍?)の様子を、イエス様がご覧になって、五十人ぐらいずつ組にして座らせ、小さな男の子が持っていた「5つのパンと2匹の魚」を祝福して裂き、皆に配ったら全員満腹になった。さらに、余ったパン切れを取り集めると十二かごあった。という奇蹟が起こったところとされています。

このできごとを記念して教会が建てられました。

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内部も広く、まだ新しいようです。

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この教会は最近建てられたもので、最初は、キリスト教がローマ帝国に公認された紀元350年に小さな教会が建てられました。そして、ビザンチン時代の紀元480年に大きな教会に建て替えられました。その床には、見事なモザイク画が描かれており、その中で有名なものが「5つのパンと2匹の魚」のモザイク画です。しかし、紀元614年のペルシャの侵略により教会は壊されてしまいました。その後、1932年になって発掘され、見事なモザイクの床が再び姿を現し、1980-1982年にカトリックのベネディクト派によって、遺跡の上に現在の教会が再建されました。

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祭壇の下には、「5つのパンと2匹の魚」が置かれたといわれる岩があります。

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そして、その前に、有名な「5つのパンと2匹の魚」のモザイク画が描かれています。

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その部屋の両サイドの床に、見事なモザイク画が描かれています。その中に一本の大きな塔がありました。恭仁子さんの説明では、これはナイル川の水深を測る塔で「ナイルメーター」と呼ばれるもの。これらのモザイク画はエジプトの職人によるもので、そのサイン代わりにこの塔が描かれたとのことです。

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そこで、「この塔はどこかで見たことがあるぞ、そうだ、ツィポリで見たような気がする。」と思って、写真を比べてみたら、よく似ていました。下の写真が、ツィポリのナイルハウスで見たものです。塔に書かれた文字や絵の流儀がちょっと違うようなので別人の作と思われますが、当時は、エジプトのモザイク職人がイスラエル各地で活躍していたようですね。Zippori(ツイポリ)の記事参照

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下の写真はこの教会のもの。鳥や草などが、生き生きと描かれています。

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左側の床にも、鳥や動物たち、いろいろな草花が一面に描かれています。

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鳥が虫を取り合っていたり。

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聖書に出てくる「岩だぬき」(ヘブライ語では「岩うさぎ」というそうです。)と鳥が遊んでいたり。(喧嘩している?)

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優雅に描かれたこの孔雀の絵は有名とのこと。

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外に出ると、発掘されたオリーブのひき臼が展示されていました。下の石の溝にオリーブの実を入れて、上の石の中央の穴に棒を挿し、ロバに引かせてぐるぐる歩かせたものです。ここで絞られたものが極上の一番絞り、その後、網かごに入れてプレス機で更に絞ります。

聖書の中では、” この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。”(ルカ17:2)などと書かれています。

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これは当時の洗礼槽。ヘブロン近辺で見つかったものだそうです。十字架型の水槽の中に階段がついていて体を浸すわけですが、結構小さいのは、当時の人々の体格が小さかったからであろうとのこと。

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どういうわけか、赤い鯉が飼われていました。これは、ガリラヤ湖とは関係ないと思いますが、コインやパンを投げ入れる人が多いようです。

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次に、この教会の隣にある、ペテロ召命教会(Church of the Primacy of Peter)へ行きました。

道沿いの入り口から坂道を降りていきます。

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しばらく歩くとガリラヤ湖畔が見えてきて、

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小さな教会が建っていました。これが、ペテロ召命教会(Church of the Primacy of Peter)です。この教会は、イエス様が復活後にペテロの前に現われて、「私の羊を飼いなさい。」と3度言われたところを記念して建てられたものです。4世紀末に最初の教会が建てられ、1263年に破壊され、カトリックのフランシスコ派によって1933年に再建されました。

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この教会の外側に、階段状の岩があります。 イエス様が十字架につけられたので落胆したペテロたちが、ガリラヤ湖へ戻って漁をしていましたが、一晩中かかっても何もとれませんでした。その朝、復活後のイエスが現われた場所が、この岩の上だそうです。当時は湖面が、この岩のすぐ下まで来ていたそうです。

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”夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。”  (ヨハネ 21:4-6)

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また、教会の中には、イエス様が、漁から戻ってきたペテロたちのために朝食の用意をされたといわれる岩があります。

” こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいなかった。イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。”(ヨハネ21:9-13)

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ラテン語で、「MENSA CHRISTI」と書かれていますが、これは、「主のテーブル」という意味です。

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食事の後、ペテロはイエス様から、召命を受けました。

”彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエス に言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われた ので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは 彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。(ヨハネ21:15-17)”

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最近まで、ガリラヤ湖の水は減り続け、ここから数メートル先まで砂浜だったとのことですが、昨年から今年は雨が多かったので、かなり水面が上昇したとか、確かに、木々は水の中に浸かっているように見えます。

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湖の上には、鳥が長い列をなして飛んでいました。シリア・アフリカ大地溝帯に沿って行き来している渡り鳥と思われます。このような風景は、2000年前のペテロたちも見ていたことでしょう。

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