River Jordan(ヨルダン川)
訪問日:23 Feb 2013
3泊したガリラヤ湖畔のホテルを出て国道90号線を南下し、ヨルダン川にある洗礼場、Qaser El Yahud(カスル・エル・ヤフド)へ向かいました。
古代都市の遺跡のあるベテシャンを通り過ぎてしばらくすると検問所がありました。ここから先はパレスチナ自治区です。いわゆるヨルダン川西岸地区。日本で想像していた時は、パレスチナ自治区は安全だろうかと心配していたのですが、バスの中にいる人はノーチェックで簡単に通過できました。ヨルダン川西岸地区でも南北に走る国道90号線と、90号線のエリコ付近から出てエルサレムにつながる国道1号線については、イスラエル領と同じ扱いで、イスラエル人もイスラエルの車も問題なく通ることができます。
パレスチナ自治区に入ると、風景が一変してアラブ風になります。これは、ベドウィンのテント村でしょうか。
白いビルが並び、モスクの塔がそびえるアラブ人の町です。畑も手入れされていますが、イスラエルのように整然とはしていません。90号線の道路沿いには、ところどころにお土産を売る露店がでていて、あまり危険は感じられません。
羊の群れとすれ違いました。羊飼いの少年はロバに乗っています。2000年前と変わらない様子。
エリコに近づくにつれ、緑のない荒地になります。このような荒野が、バプテスマのヨハネが「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と教えていたところです。また、イエス様が、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて上って行かれ、四十日四十夜断食されたのもこのような荒野です。
イエス様が、バプテスマのヨハネからバプテスマ(浸礼)を受けられたヨルダン川も、この近くにあるQaser El Yahud(カスル・エル・ヤフド)だと言われています。それを記念して多くの小さな教会が建てられました。しかし、戦争や地震、テロなどによって破壊され、殆どの教会が廃屋になっています。下の写真も洗礼場のすぐ近くにあったカトリックのフランシスコ派の教会跡です。
Qaser El Yahud(カスル・エル・ヤフド)の 洗礼場の入り口には、イスラエル国旗が掲げられ、イスラエル軍が警戒しています。ここは、ヨルダンとの国境であり、1970年代からテロリストの襲撃が頻繁にあったので、地雷がたくさん埋められているとの事。ところどころに見られる赤い三角マークは「地雷注意」のしるしだそうです。
この日も、大勢のイスラエル兵が見張っていました。皆若い国防軍の兵士で、話しかけると気さくに応じてくれ、一緒に写真に入ってくれる人もいました。イスラエルでは徴兵制度があり、18歳以降、男子は3年、女子は2年、兵役に服さないといけません。また、その後も男子は55歳まで予備役として年間一ヶ月程度の訓練の義務があるそうです。
これが、Qaser El Yahud(カスル・エル・ヤフド)の洗礼場です。このベージュ色の水の川がヨルダン川ですが、幅数メートル、かなり狭いです。向こう岸は、もうヨルダン領、簡単に渡れそうです。このあたりのヨルダン川は、かなり細く蛇行していますが(最下部のGoogle地図を見て下さい)、乾燥したユダの荒野にあって数千年も涸れることなく流れ続けているのは不思議ですね。
洗礼場の岸辺には、広い木のデッキが作られていて、着替えの施設もあり、かなり整備されています。ヨルダン川にある洗礼場としては、ガリラヤ湖の近くにあるヤルデニットが有名ですが、そちらはかなり混んでいるそうです。
ヨルダン側にも洗礼場があり、その後ろに見える立派な教会はギリシャ正教のものとのこと。ヨルダンの人に言わせると、イエス様が洗礼を受けられたのは、イスラエル側ではなく、ヨルダン側だということです(??)。
この日も大勢の観光客がヨルダン側に来ていました。次回はあちらサイドから見てみたいものです。
明石牧師からのメッセージがあり、いよいよ、バプテスマ(浸礼式)が始まります。
この日バプテスマを受けるのは、初めてのNさんと、これから牧者になられるというY君のお二人です。
そのあと、私達もヨルダン川に足を入れてみました。色は白っぽく濁っていますが、ざらざらしません。するすると滑らかな感じで気持ちよく、水から上がっても泥はついていません。これは、混ざっているのが非常に細かい砂だからなのだそうです。
私達は、しばらくヨルダン川の感触を楽しんだ後、エリコに向かいました。
また、ヨルダン川のこの地点は、約束の地をめざしてエジプトを脱出したイスラエルの民が、初めてヨルダン川を渡り、エリコに向かったところと言われています。
(ヨシュア記3:16-17)”上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。”
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