Qumran(クムラン)

訪問日:23 Feb 2013

「死海写本(The Dead Sea Scrolls」で有名なクムランを訪れました。ここは、死海の北の端から約1km北で、エルサレムからは、歩いて丸一日くらいかかるユダの荒野の丘の上にあり、周囲の山々にはたくさんの洞窟があります。

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恭仁子さんの説明をご紹介します。

「1947年の夏、近くを歩いていたベドウィンの羊飼いの少年が、洞穴に迷い込んだ羊を探しに行ったときに石ころを洞穴に投げてみたら素焼きの壷に当たる音がした。それで中に入ってみると巻物が入った7本の素焼きの壷が並んでいて、そっとふたを開けてみるといか にも古そうな巻物が入っていた。価値が良く分からない少年は、それをベツレヘムの骨董品屋に持っていったら、二束三文で買い取られた。それを伝え聞 いたエルサレムのスークニク教授という考古学者が買い付けに行ったらもう法外な値段になっていた。それで大もうけした店は、今は大きなお土産屋になっている。(笑) その教授は持ち物すべてを工面してなんとか3本買いとった。残りの4本も家を抵当にしてでも買おうとしたが、誰もお金を貸してくれず、1947年の11月、国連がイスラエル独立の決議を出す直前で不穏な雰囲気を省みずエルサレムとベツレヘムの間の9kmを行ったり来たりしているうちに、ある神父に買われてアメリカに行ってしまった。その教授は「ああ、イスラエルは世紀の遺産を失ってしまった」と大変嘆き悲しみながらこの世を去った。そのあと、世界的に名を馳せた考古学者で、スークニク教授のご子息であるイガエル・ヤディン教授が、1950年代にアメリカに客員教授として招かれていたときに、4本の巻物を売り出す新聞広告が目に入った。行ってみると、まさしくお父さんが買えなかった4本の巻物で、非合法で持ち出したためか、思ったより安かったが、それでも2000万円くらいしたので、当時お金のないイスラエルがなんとか工面して購入した。最後は大富豪がお金を出してくれて、それを保管するイスラエル博物館内の死海写本館も建ててくれた。」

この地は、1948年のイスラエル独立の後は、しばらくヨルダン領でしたが、1967年の六日戦争のあとイスラエル領となり、本格的な発掘が行われました。たくさんの写本の破片が出てきて、それらをつなぎ合わせると、なんと、エステル記を除く、旧約聖書が全部出てきたとのこと。特に、イエス・キリストを預言していると言われるイザヤ書は殆ど完全な形で残っていたとのことです。それまでは、紀元1000年頃の写本しかなかったのですが、紀元前2世紀頃に筆写された聖書が、同じ内容で発見されたことは、まさに奇蹟ですね!!!

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写本が出てきた洞穴は、全部で11個ありましたが、なかでも、この正面に見える第4洞穴から一番たくさん出てきました。クムラン教団の人々はローマ軍が攻めてくることを想定し、皆殺しにあっても命より大切な聖書だけは後世に残そうと言うことで、あちこちの洞穴に隠したのでした。

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断崖絶壁の洞穴で、どうやって行き来したのでしょうか?恭仁子さんによれば、アルベル山の断崖絶壁の洞穴にも多くの家族が住んでいたように、イスラエルの民にとっては難しいことではないとのことでした。

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拡大してみると、中の部屋は随分広いようです。多くの壷が並んで図書館のようになっていたのでしょうか?

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発見された壷と巻物の解説です。翻訳しますと、

”1952年8月、ベドウィンがこの洞穴を発見した。彼らがちりのようなものの中からふるい分けると14000個の巻物の破片が出てきた。あとからその洞穴に来た考古学者達は、さらに1000個の破片を取り出した。学者達は、これは紀元68年に攻めてきたローマ軍が故意に粉々にしたからであろう、また、その後も、動物による損傷や風化によって更にぼろぼろになってしまったからであろうと考えた。しかし、これらの巻物の破片の研究を進めるにつれ、ひとつひとつの破片がつなぎ合わされ、530種類の巻物が再現された。再現は2001年になって完成し公表された。”

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上記の説明では、死海写本は順調にまとめられたように書かれていますが、1952年から2001年まで、実に49年、随分長い期間がかかっています。この間の詳しい事情について、「はじめての死海写本」(土岐健治著、2003年講談社新書)に興味深く書かれていました。政治や宗教に翻弄された学者たちのジグソーパズルのような困難な作業や争い、数奇な人生を巻き込みながら奇跡的に完成されたようです。(実際には、まだ未刊のものもあるようです。)

現在、これらの巻物は、エルサレムのイスラエル博物館の中にある、立派な死海写本館に展示されています。

クムランの集落は、死海を見下ろす丘の上の平地にあります。紀元前2世紀頃(前1世紀頃という説もあり)にクムラン教団といわれる共同体が作られ、一時は数千人いたとのこと(食堂の広さから150~200人以下という推測もあり、いまだ定説はない)。当時のイスラエルは、イエス・キリストの時代の前後で、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派など、21ものユダヤ教の宗派があったとのことで、革新的な人々も多くいました。クムランの共同体の人々は、都の生活を捨て、エルサレムからまる一日かけて歩いて来て男子だけの共同生活をしました。霊的エリートをめざし、熱心にユダヤの戒律を守り、沐浴も大切に行いました。昼は農作業や工事などの肉体労働をし、夜はオリーブオイルのランプの下で熱心に聖書の写本をしました。彼らがエッセネ派であったかどうか、バプテスマのヨハネがこの教団に属していたかどうか、などについては、多くの議論があるようです。

ヘブライ大学のサイトに大変分かりやすい全体図がありました。

The Orion Virtual Qumran Tour

発掘された状態。

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当時を再現した全体図。この場所は、集まって共同生活をする場所で、各々が寝泊りするのは周りの洞穴でした。

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入り口を入って最初に見えるのが見張り塔です。

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ここからは、死海が見えるはずですが、この日はもやがかかっていて良く見えませんでした。天気の良い日には、死海の向こうのヨルダン側にネボ山も見えるそうです。聖書には、モーゼはエジプトからイスラエルの民を率いて40年間荒野をさまよい、エリコに向かい合わせのネボ山の頂上から約束の地を見た。しかし、約束の地に入ることはできずそこで死んだ、と書かれています。

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クムランの人々は、清めるための沐浴を大切にしました。下の説明は、ヨセフスの「ユダヤ戦記」に書かれているものです。

”彼らは5時まで(午前11時頃にあたる)大変勤勉に働き、その後、白い布をまとって冷たい水に体を浸す。このきよめが終わった後、部屋に集まり、きよらかな体になって、聖なる神殿に入るように食堂へ入る。”

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沐浴場は、戒律に従って、入るための階段と出るための階段とは別々になっています。

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沐浴場はたくさん作られています。全部で10箇所もあるそうです。

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また、乾燥地帯なので、水は大変貴重です。ワディ・クムラン(乾季に干上がる水無し川)に冬の間に時々降る短期豪雨の水を貯水池に導くための導水路が張り巡らされています。

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導かれた雨水は、幾つか設けられた貯水池に流れ込みます。全部で16の水槽があり、そのうち10個が沐浴用とのこと。

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水槽全体では約60万リットル貯水可能で、これは、約200人が8ヶ月暮らせる量とのこと。

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食堂:

”彼らは、皆で一緒に食事をし、一緒に祝福し、一緒に考えなければならない。食事と新しいワインのための食卓が用意されたら、祭司は、まず手を伸ばして祝福した後、パンとワインを配らねばならない。”

正餐式と似ていますね。

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これが、食堂のあったところのようです。

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作業場:

”10万個ものナツメヤシの種と、ナツメヤシのシロップを作る道具が、ここで発見された。”

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かなり広い作業場です。

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”羊とヤギの囲い”と書いてあります。あまり多くは入らないようです。

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台所: ”学者によれば、この部屋はクムランの住民の共同キッチンである。”

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製陶釜: ”この製陶釜は、陶器師の作業場で、台所用品としての陶器を焼くのに使われた”

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これが、陶器釜の遺跡です。

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陶器倉庫:”ここで発見された台所用の陶器類は、紀元前31年の地震によって壊れていた。”

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この共同体は、紀元前1世紀頃から始まり、自給自足の男だけの禁欲的、宗教的共同生活を続けてきましたが、ローマ軍の脅威が迫ってくるにつれ、最悪の事態に備えて大切な巻物を洞穴の中に隠しました。そして、ついに紀元68年、ローマ軍が攻めてきて建物を破壊し、クムラン教団は散りぢりにされてしまいました。その後、バルコクバの反乱のあった紀元132-135年に一時ローマ軍が駐屯したことがありましたが、その後1800年間廃墟となっていました。

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