The Church of Saint Peter in Gallicantu(鶏鳴教会)

訪問日: 26 Feb 2013

シオン門を出たところにある「二階の間」から歩いてすぐの「鶏鳴の聖ペテロ教会(The Church of Saint Peter in Gallicantu)」へ行きました。Gallicantuとは、ラテン語で「おんどりの鳴き声」という意味で、イエス様が捉えられた後、ペテロが3回否定した時に鶏が鳴きました。それを聞いたペテロが、イエス様の言葉を思い出して、悔い改めて泣いたという場所を記念して、この教会が建てられたということです。

そのため、教会のあちこちに、鶏のイメージを見つけられます。

これは、入口の看板に描かれた鶏。

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一番象徴的なのは、教会の中央の屋根の上です。

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屋根の上の十字架の上に、金色の鶏が輝いています。

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下の壁画は、ペテロがイエス様に、鶏が鳴く前に3回否定すると言われた場面です。マタイの福音書によれば、

”イエスは彼(ペテロ)に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」 ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」 弟子たちはみなそう言った。” (マタイ26:34-35)

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そして、イエス様がゲッセマネで捕えられて、大祭司カヤパの家に連れてこられて審問されたときに、遠巻きについてきたペテロは、3人にイエスの仲間だと問い詰められ、3回とも否定しました。その時、鶏が鳴きました。

下の彫刻がその様子を表しています。真ん中の柱の上に鶏の彫刻があるのですが、残念ながら気が付きませんでした。

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その様子を、ルカの福音書から抜粋します。

”ペテロは、遠く離れてついて行った。彼らは中庭の真ん中に火をたいて、みなすわり込んだので、ペテロも中に混じって腰をおろした。すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。「この人も、イエスといっしょにいました。」 ところが、ペテロはそれを打ち消して、 「いいえ、私はあの人を知りません」と言った。 しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ」と言った。それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから」と言い張った。しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。”(ルカ22:55-62)

グループツアーが終わり、一行と分かれた後、エルサレム旧市街の中にあるルーテル教会のホテルに宿泊しましたが、毎朝夜明け前に鶏の鳴く声が聞こえました。ペテロも同じ鳴き声を聞いたのだと思うと感慨深いものがありました。

また、教会の中には次のような絵もありました。

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この絵の右側はペテロを見つめるイエス、左側が悲しい顔のペテロ。奥にはたき火のまわりに座って、イエスを3回否定するペテロが描かれています。そして、柱の上には鶏がいます。

ルカの福音書では、問い詰める3人は、女中1人と男2人でしたが、マタイ伝では、2人の女中とそのあたりに立っている人々となっています。また、マルコ伝では、 同じ女中が2回とそばに立っていた人たちとなっており、ヨハネ伝では、まわりにいた人々と、大祭司のしもべのひとりでペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者となっています。少しづつ違いますが、ペテロが3回否定した時に鶏が鳴いたというのは共通しています。

教会の内部は、カトリックの教会らしく、美しい壁画やステンドグラスで飾られています。カヤパ邸で審問されるイエスの絵も描かれています。

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教会は、岩の上に建てられています。最初に建てられたのは、AD457年のテオドシウス帝の時のものですが、AD1010年にファティマ朝のアル・ハーキムに破壊され、AD1102年に十字軍が再建しました。 その後もエルサレムが陥落したときに破壊され、現在の教会は、十字軍時代の建物の廃墟の跡に1931年に完成したカトリックのものです。DSC_2666_R

教会の立っている岩の下には、いくつかの洞穴が作られています。その中の一つにイエス様が一晩留置されたといわれています。

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この教会の地下の発掘は1889年に行われ、教会の地下から地下牢の跡と思われる洞穴がみつかったそうです。それで、その構造からここがカヤパの公邸であり、その洞穴は大祭司カヤパとサンヘドリンによる審問の時にイエスが一晩留置されたところだと想定されました。

また、この地下牢は、使徒行伝5章に書かれている、ペテロとヨハネが留置されたところとも言われています。

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紀元1世紀前後のエルサレムの裕福な家は、岩盤の上に建てられており、その地下には岩を繰り抜いて掘られた穴が幾つかあけられていて、倉庫や貯水槽、沐浴場などとして使われるようになっていたそうで、この家もそのような構造なのだそうです。「聖都エルサレム5000年の歴史」(関谷定夫著)によれば、ここで、「罪祭のための供物」とヘブライ語で書かれた扉の貫木や、ユダヤ式秤と分銅などが発見されたことから、律法違反者が罰金として捧げた供物を貯蔵した倉庫があり、臨時刑務所も兼ねていたと想定され、ここが大祭司カヤパの公邸であったとされたそうです。

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薄暗い通路を降りていくと、一番下に狭い部屋があります。

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説明には、「聖なる穴(地下牢)」と書かれています。1889年の発掘の時に、この穴の壁のあちこちにビザンチン時代に刻まれた十字架が見つかったそうです。 ビザンチン時代の教会があった5世紀頃から、ここにイエスが留置されていたものとされていたようです。

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階段を降った一番下に、狭い部屋があって、現在は小さなチャペルになっています。ここで明石牧師のメッセージがありました。

イエス様は、ここに一晩留置された後、翌朝、ピラトの官邸(ヘロデの城砦、現在のダビデの塔のあたりにあったと思われる)に連れて行かれたとされています。

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教会の中庭からテロピオンの谷へ下る長い階段も発掘されています。これは、イエスが公邸に連行された時に通った石段と考えられています。

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その石段の向こう側に、紀元1世紀頃の裕福な家の土台の遺跡が残っており、ここもカヤパの家の跡だとされています。

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石段はずっと下の方まで続いています。実際にはビザンチン時代のものらしいのですが、イエスの時代にもここに階段があったと想定されています。

この階段は、上の町と下の町をつなぐ通路になっていたとのことで、AD4世紀に書かれた巡礼記によると、「シロアムの池からカヤパの家を横切ってシオンの山に行く...」と書かれており、その頃も、ここがカヤパの家とされていたようです。ちなみに、イスラエル博物館の50分の1モデルでは、カヤパの家はもっと北西のヘロデの宮殿の南側にあるとされています。

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帰国後、オリーブ山から撮った写真を拡大してよく見ると、これらの位置関係が良く分かりました。古代の階段とあるところが上の3枚の写真にあたります。

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もう一度、オリーブ山から撮ったパノラマ写真を見てみました。下の写真から、イエス様と弟子達の歩かれた行程を想像することができます。(クリックすると大きくなります。)

  1. 木曜日の午後、イエスの一行は、ベタニヤの家を出て、オリーブ山の南側を通ってエルサレムに向かい、ケデロンの谷を通って下町を経由し、この階段を上って上町に行き、「二階の間」で過ぎ越しの食事をした。
  2. 深夜、0時から午前2時頃、イエスと弟子達は祈るために、再びこの階段を下ってケデロンの谷を通って、オリーブ山の中腹にあるゲッセマネに向かった。
  3. 金曜日の午前2時頃、イエスはゲッセマネで逮捕され、大祭司カヤパの家(鶏鳴教会のところ)に、この階段を上って連行された。
  4. イエスは大祭司カヤパとアンナスの前で審問された。このとき、カヤパの家の中庭にいたペテロはイエスを3回否認し、その時、鶏が鳴いた。イエスは、そこの地下牢で一晩過ごした。
  5. 翌朝、イエスはヘロデ大王の宮殿にあるピラトの本部に連行された。

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「バイブルワールド 地図でめぐる聖書」(ニック・ペイジ著)には、下のような図になっていて、カヤパ邸はヘロデ宮殿の南側になっていますが、今まで読んだ資料から推察すると鶏鳴教会の場所の方が正しいような気がします。

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階段の壁には、イエス様が連行される様子が描かれていました。

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また、最後の晩餐の後に、ゲッセマネに祈りに行くために、イエス様と弟子達がこの階段を降る様子も描かれていました。

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鶏鳴教会から南を見下ろすと、ヒンノムの谷が見えます。ここから左は、ケデロンの谷とも合流するところです。ヒンノムの谷は、ヘブライ語ではゲヘナと呼ばれますが、ゲヘナという言葉は新約聖書によく出てきます。例えば、マタイの福音書5:22には、

”.....『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。” とあります。

古くから、エルサレムの城門の外のゴミ捨て場として使われ、火が燃やされ続けて悪臭を放っていたそうです。また、「ベンハー」の映画で、ベンハーの母と妹がらい病になって隠れ住んでいたところもここなのだそうです。現在でも、岩場になっていて、何も建てられていません。

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驚いたのは、Google Mapを良く見ると、この谷の横を通る道に「ゲヘナ」という地名がつけられていました。現在でもゲヘナと呼ばれているようです。下の地図を拡大してみて下さい。

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