Tel Arad(テル・アラッド)

訪問日: 24 Feb 2013

テル・アラッド(Tel Arad)はイスラエルの南部にある古代都市で、北はヘブロンからエルサレムへ、南はシナイ半島からエジプトへ、東はアラバの海と呼ばれた死海からヨルダンへ、西は地中海へと通ずる交通の要衝であり、BC4000年代には小さな村が出来、BC3000年代にはすぐれたカナン人が住んで銅などの交易で約350年間栄えていました。しかし、その後、BC2650年頃に廃墟となりましたが、1500年後のBC11世紀頃からイスラエル人が住み始め、ソロモン王の時代のBC10世紀後半には丘の上に強固な要塞が造られました。

これが、ソロモン王から始まるイスラエル王国時代の要塞跡です。

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下の図は、テル・アラッドの全体図です。右上にイスラエル王国時代の要塞、左下に古代カナン人の町があります。この町には、神殿、宮殿、住居群、市場、倉庫などがあって城壁で囲まれており、その城壁の長さは1,176mもあったそうです。

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下の図は、イスラエル王国時代の要塞の平面図です。正方形の堅固な要塞ですが、要塞の中に神殿があるのが特徴です。

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イスラエル王国時代の要塞の門にある2つの塔の内の右側の塔です。

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門を入って、中央にある塔に上ります。この塔は、ヘレニズム時代のBC3世紀~2世紀頃に造られたものとか。

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塔の上から北西角を見ると、小型の神殿があります。同じイスラエル王国時代に、北イスラエルのダンにも小型の神殿があり、それは、イスラエルの王ヤロブアムが民をエルサレムの神殿に行かなくても済むように造ったもの(コンビニ礼拝用)でした。この神殿も同じ目的だったという学者もいますが、石が2つ立っているので、一つはイスラエルの神ヤハウェで、もう一つは、配偶神アシェラだという見解や、全くイスラエルの神とは関係のない異教の神を祭ったものだとか、いろいろな見解があるようです。

いずれにしろ、イスラエルの神以外の神を拝むことは聖書に反することであり、南ユダ王国の王の中でも義の王(神に忠実だった王)とされるヒゼキヤ王(BC727~698)とヨシヤ王(BC640~609)は宗教改革を行って禁止しました。実際、中庭にある犠牲の祭壇は廃棄されており、至聖所の小さな祭壇は横倒しにされ、しっくいでおおわれていたそうです。

(第二列王記23:8) ” 彼はユダの町々から祭司たちを全部連れて来て、ゲバからベエル・シェバに至るまでの、祭司たちが香をたいていた高き所を汚し、門にあった高き所をこわした。・・・・・”

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神殿の一番奥にある至聖所を見たところ。

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至聖所には、奥に2つの石が立っています。大きいものとやや小さいもの。そして、入口に、2つ香壇があり、やはり大きいものと小さいものがあります。

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至聖所の前には、横長の細い部屋があります。こういう部屋を持つ神殿はカナン人のものには見当たらないとのこと。

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この四角い台が中庭にある犠牲の祭壇です。この祭壇は、聖書の律法に従った方法(削らない石)と大きさ(2.5m x 2.5m、約5 x 5キュビト)で造られているとのことです。

(出エジプト記20:25) ”あなたが石の祭壇をわたしのために造るなら、切り石でそれを築いてはならない。あなたが石に、のみを当てるなら、それを汚すことになる。”

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神殿の東側は倉庫だったようです。

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西の方を見ると、古代カナン人の町の遺跡が見えます。

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イスラエル王国時代の要塞を出て、古代カナン人の町の跡へ向かいます。

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緩やかな坂道を下っていきます。

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途中に、井戸の大きな穴が見えてきますが、この井戸は、イスラエル王国時代末期に造られたもので、この井戸で水を汲んで、ロバなどの動物に要塞まで運ばせ、導水路に流し込んだとのことです。

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神殿の跡が見えてきました。

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町の中央を通るストリートを歩きます。

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神殿が2つ並んでいて、向こう側の神殿の前に、犠牲の祭壇が見えます。

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道の左側の遺跡が、宮殿跡のようです。

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西の門を出ます。

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ところどころに丸い塔の跡がありました。

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丘の上を見上げると、イスラエル王国時代の要塞の威容が見えます。

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古代カナン人の町の住居地区。

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キッチンと書いてあります。

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住居跡を通り抜けて、別の城門に向かいます。

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城外に出ました。塔のある立派な城門です。

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ところどころに城壁の跡が残っています。一周1176mですからかなり長いです。丘の上にはイスラエル王国時代の要塞が見えます。

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カナン人の町は、交通の要衝にあり、南方のシナイ半島周辺の銅山とも近いため、銅の交易の中心地として大変栄えました。BC3000年からBC2650年頃まで、約350年間続きましたが、発掘調査によれば、その後1500年間は誰も住んだ形跡が見られず、廃墟となって見捨てられていたそうです。

イスラエル王国時代の要塞の方は、BC10世紀頃、ソロモン王の時代に建てられましたが、BC586年にエルサレムの神殿が破壊されて以来ペルシャ軍が駐屯していましたが、ヘレニズム時代のBC3世紀になると、修復され、中央に見張塔が建てられました。その後、ローマの支配下になって、ナバテア王国を併合したことで紀元2世紀頃には要塞としての役目を終えました。その後、7世紀になってアラブの支配下の時には、隊商宿として使われた時もありましたが、8世紀には破壊され廃墟となりました。